(株)新潟鉄工所『新潟鉄工所四十年史』(1934.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 此年石油業旺盛にして鑿井及製油機械の註文続到す。 会社記事
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月 日英同盟成る。 社会記事
3月24日 長岡市鈴木常作氏所有の鉄工所を買収して長岡分工場を設け、春山鍵太郎氏に主任を命ず。 会社記事
5月 東宮殿下(大正天皇)有栖川宮威仁親王殿下御同行、新潟県石油産地に行啓あらせらる。 社会記事
10月12日 日石本社取締役山口権三郎氏逝去。 会社記事
- 此年新津分工場を設立し、岡島数之助氏に主任を命ず。 会社記事
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
6月29日 九月二十六日迄米国機械技師エーチ・エー・スチーブンス氏を傭聘す。 会社記事
9月16日 社用渡船石油発動機装備第一鉄工丸竣功す。 会社記事
10月7日 技師木川行蔵氏を採用し、新潟工場長を命ず。 会社記事
10月 インターナショナル・オイル会社石狩油田用タンク五個組立の註文を受く。 会社記事
11月25日 直江津分工場を設立開業す。 会社記事
- 大阪市に開催の第五回内国勧業博覧会に鑿井機械一式出品、一等賞を授けらる。 会社記事
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
1月 技師野口善平氏に柏崎分工場主任を命ず。 会社記事
2月10日 日露両国間に戦端開かる。 社会記事
3月30日 日石本社内藤社長石油業視察の為渡米す。 会社記事
5月 米国聖路易市に於て開催の万国博覧会に鑿井機械外十八点を出品、名誉銀牌を受く。 会社記事
- 此年造船業開始の緒に就き、十一月二十八日入船町に地所九千七百余坪を買収す。 会社記事
- 此年軍需品の急需あり、工作機械の註文は五十台に及び、非常時操業に従事す。 会社記事
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
3月10日 皇軍奉天占領。 社会記事
3月24日 長岡分工場全焼、直ちに再築に着手、一週間後には操業再開す。 会社記事
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