清水建設(株)『清水建設百七十年』(1973.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
文化元年(1804) 9月 露国使節レザノフ、長崎に来航 社会の動き
- 大工開業 当社のあゆみ-技術
- 初代清水喜助、江戸神田鍛冶町で大工を開業(天明三年生まれ、二二歳、のちに神田新石町に移転し、屋号を清水屋と称す) 当社のあゆみ-一般
天保9年(1838) 3月 江戸城西丸、炎上 社会の動き
- 初代喜助、棟梁の中から選ばれて江戸城西丸修営に弟子藤沢清七らとともに参加 当社のあゆみ-一般
天保10年(1839) 11月 江戸城西丸、竣工 社会の動き
- 藤沢清七、清水家に入婿して喜助の長女ヤスと結婚(文化一二年生まれ、二五歳) 当社のあゆみ-一般
嘉永元年(1848) - 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 渋沢関係略年譜
- 江戸牛込高田八幡宮(通称穴八幡)随身門の建築に着工(嘉永二年八月、完成) 当社のあゆみ-一般
- 佐久間象山、藩命により初めて洋式砲三門を鋳造 社会の動き
- 嘉永と改元(弘化五年二月) 社会の動き
嘉永2年(1849) 4月 葛飾北斎、没 社会の動き
4月 イギリス軍艦、相模松輪崎に来航(浦賀に上陸) 社会の動き
7月 初代喜助、神祇伯白川家から「日向」の国名を拝領 当社のあゆみ-一般
- 初代喜助妻シゲ、死去 当社のあゆみ-一般
- この頃、「河内」の国名も拝領 当社のあゆみ-一般
嘉永4年(1851) 3月 幕府、江戸町民救済のため十組問屋制復興を下命 社会の動き
10月 初代喜助、上野輪王寺宮から「出雲」の国名を拝領、また金龍山浅草寺用達を下命 当社のあゆみ-一般
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
4月 ロンドンで最初の世界産業博覧会、開催 社会の動き
6月 アメリカ使節ペリー、大統領の国書を持って浦賀に入港 社会の動き
- 江戸大地震(安政二年一〇月二日) 社会の動き
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