※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政6年(1859) | 1月 | 幕府、長崎・箱館・神奈川(横浜)の三港開港について同地へ出かせぎ・移住・自由売買を許可 | 社会の動き |
5月 | 初代清水喜助、死去、清水清七、二代喜助を襲名 | 当社のあゆみ-一般 | |
5月 | 幕府、六月以降、神奈川・長崎・箱館三港で露・仏・英・蘭・米の五国と自由貿易を許可する旨を布告 | 社会の動き | |
6月 | 神奈川・箱館・長崎の三港、開港 | 社会の動き | |
6月 | 神奈川奉行、設置 | 社会の動き | |
- | 横浜坂下町に店宅を新築し、横浜へ進出 | 当社のあゆみ-一般 | |
- | 神奈川戸部村外国奉行所、石崎関門・異人牢(カツトメハウス)および野毛坂陣屋前役宅等を施工 | 当社のあゆみ-一般 | |
安政7年(1860) | 3月 | 水戸・薩摩浪士ら、桜田門外で大老井伊直弼を暗殺 | 社会の動き |
文久元年(1861) | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 幕府、品川御殿山に各国公使館の設置を許可 | 社会の動き | |
11月 | 幕府、小笠原島開拓のため外国奉行水野忠徳らを派遣する旨を英仏公使に通達 | 社会の動き | |
- | 二代清水喜助、神奈川役所定式普請兼入札引受人を拝命 | 当社のあゆみ-一般 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 江戸向島の三囲稲荷内社殿を造営 | 当社のあゆみ-一般 | |
10月 | 尾高新五郎・渋沢喜作・渋沢栄次郎(栄一)ら、横浜居留地焼き打ちを策して会合(未遂) | 社会の動き | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、征夷大将軍となり、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 薩長連合 | 社会の動き | |
6月 | 幕府、征長勅許を得て長州藩に宣戦布告 | 社会の動き | |
7月 | 横須賀製鉄所、一部完成、はじめて新造船工事に着手 | 社会の動き | |
10月 | 横浜坂下町店宅、類焼し、吉田町に家屋を新築して移転、釘・鉄物商のほか材木商を兼業(のち吉田町店類焼のため宮川町へ移り、間もなく吉田町に店宅を新築して復帰) | 当社のあゆみ-一般 | |
- | 村田満之助、宮川町の別荘に寄寓 | 当社のあゆみ-一般 | |
- | 横浜新田北方製鉄所、施工 | 当社のあゆみ-一般 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 睦仁親王(明治天皇)、践祚 | 社会の動き |