清水建設(株)『清水建設百七十年』(1973.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月 東京商法会議所、設立(会頭渋沢栄一) 社会の動き
6月 東京株式取引所、開業 社会の動き
- 相州(神奈川)長浦検疫所、竣工 当社のあゆみ-一般
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
1月 日本橋本石町の店宅、類焼 当社のあゆみ-一般
2月 横浜正金銀行、開業 社会の動き
8月 新潟大火(約五五〇〇戸、焼失) 社会の動き
11月 工場払下概則布達 社会の動き
- 横浜港谷戸橋、竣工 当社のあゆみ-一般
- 小野釘吉、横浜吉田町店に寄寓 当社のあゆみ-一般
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京神田松枝町から出火、神田・深川で約一万五〇〇〇戸、焼失 社会の動き
4月 農商務省、設置 社会の動き
5月 セメント製造会社(後の小野田)、設立 社会の動き
8月 二代清水喜助、死去//清水満之助、横浜店と東京本石町店を受け継ぎ清水家の家督を相続、三代当主となる//清水武治、分家して上根岸清水(後の落合清水)を創設、東京新石町店を清水武治、横浜吉田町店を清水満之助がそれぞれ単独で経営 当社のあゆみ-一般
10月 自由党、結党(板垣退助、総理となる) 社会の動き
- 肝煎制を廃し、場所掛制を採用 当社のあゆみ-一般
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
6月 三代清水満之助、会計帳簿を改良 当社のあゆみ-一般
10月 日本銀行、開業 社会の動き
11月 銀座にはじめてアーク灯、点灯 社会の動き
- 川崎久根崎に煉瓦製造工場を経営 当社のあゆみ-一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京堀川護岸工事、竣工 当社のあゆみ-一般
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