日亜製鋼(株)『日亜製鋼五十年史』(1960.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
7月 大阪市浪速区稲荷町3丁目に田中亜鉛鍍金工場発足
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
- 田中亜鉛鍍金工場、大阪市浪速区勘助町に移転拡張
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
- 田中亜鉛鍍金工場、大阪市西区南境川町790に分工場設置
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
1月 大阪市西区南境川町790所在の前記分工場を出資して平浪鉄板鍍金合名会社設立
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
2月 日本亜鉛鍍株式会社の発起人会開催、定款作成
3月 日本亜鉛鍍株式会社創立//所在地 大阪市西区南境川町790//資本金 25万円
4月 日本亜鉛鍍(株)株主総会で平浪鉄板鍍金合名会社の事業一切を買収決議
4月 田中徳松取締役に就任
6月 大阪府西成郡伝法町南2丁目に伝法工場を建設、薄板鍍金工場操業を開始
7月 大阪市西区南境川町の工場を売却
8月 本店を大阪市南区順慶町通2丁目1番地に移転
8月 大阪市南区安堂寺橋通3丁目15番地に土地53坪を本店敷地として大阪信託(株)より購入
8月 大阪市西区南境川町の厚板工場を伝法町の薄板工場に併合
9月 厚板工場および営業所の新築造営着手
10月 平板製品商標「太陽印」特許局より登録許可証下附
11月 資本金10万円増額して35万円となる
12月 本店を大阪市南区安堂寺橋通3丁目15番地に新築落成移転
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月 業務第2期拡張を取締役会にて決議した。すなわち//イ、薄平板鍍金機械 1基増設//ロ、薄浪板輪転器 1基〃[増設]//ハ、薄平浪板工場 1棟〃[増設]
3月 商標“馬”印1月25日付で登録許可証下附
10月 取締役会で工場8時間労働制採用を決議
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