※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 日本曹達(株)尼崎製鋼所買収契約成立 | ||
11月 | 日本曹達(株)尼崎製鋼所買収第2工場と改称//同工場は中型、小型圧延工場、高圧瓦斯容器工場、鋼球工場、電気炉工場、鍛造工場よりなる | ||
11月 | 株式会社日亜鋼業廠設立、資本金250万円、当社上海分工場を現物出資し、圧延、製線、製釘3工場で発足 | ||
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 2月11日本店所在地尼崎市鶴町1番地に呼称変更につき定款変更 | ||
7月 | 砂川分工場建設、磨蝶番製作開始 | ||
8月 | 深江分工場建設(元堺分工場、枚岡分工場傘下の協力工場6工場を統合した特需品工場) | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 第3工場に製線設備を移設 | ||
3月 | 第3工場に丸釘設備を移設 | ||
4月 | 資本金を1,750万円に増加 | ||
9月 | (株)田中製鋲所買収 | ||
10月 | 布施分工場を建設 | ||
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 軍需大臣より軍需会社指定 | ||
10月 | 条鋼工場完成、シートバー生産を開始 | ||
10月 | 軍需大臣より一部製鉄事業休止命令をうける | ||
10月 | 軍需大臣より(株)神戸製鋼所と当社との間に協力関係設定命令あり | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 資本金を2,750万円に増加 | ||
6月 | 尼崎第2、第3ならびに大阪工場焼夷弾攻撃をうける | ||
8月 | 軍需会社指定解除//Cf.(2度の焼夷弾被爆で工場建物一部および倉庫品に簿価4,270千円損失、日亜鋼業廠の株式簿価1,985千円が在外資産として損失) | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 兵庫県令第42号、重要民需工場管理規則による重要民需工場に指定 | ||
7月 | 鋼片工場再開 |