※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 田中亜鉛鍍金工場,大阪市浪速区稲荷町3丁目に創立 | 日亜製鋼のあゆみ | |
- | この年,中国の鞍山地帯で大鉄鉱床発見さる | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 釜石製鉄所で中国開平炭を輸入,コークスの製造を開始 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 大逆事件起こる | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
7月 | 田中亜鉛鍍金工場,大阪市浪速区勘助町に移転,拡張 | 日亜製鋼のあゆみ | |
8月 | 韓国併合 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日米,日英,日独修交通商航海条約改正,関税自主権を確立 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
5月 | 亜鉛鍍株式会社,大阪市南区安堂寺橋通4丁目120番地に創立(資本金10万円) | 大阪鉄板のあゆみ | |
5月 | 川合庄助,専務取締役に就任 | 大阪鉄板のあゆみ | |
6月 | 鈴木商店,神戸製鋼所を分離し(株)紳戸製鋼所を設立 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
8月 | 大阪市西区桜島地先に桜島工場完成 | 大阪鉄板のあゆみ | |
9月 | 工場法公布 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 中華民国成立 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
7月 | 製品好評で,海外品と同様の市価となる | 大阪鉄板のあゆみ | |
7月 | 明治天皇逝去 | 一般の動き・鉄鋼界の動き | |
12月 | 資本金を20万円に増資 | 大阪鉄板のあゆみ | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 岩井商店との間に製品委託販売契約成立 | 大阪鉄板のあゆみ | |
10月 | 岩井梅太郎,専務取締役に就任 | 大阪鉄板のあゆみ | |
12月 | 川合庄助取締役辞任 | 大阪鉄板のあゆみ | |
12月 | 桜島第2工場完成 | 大阪鉄板のあゆみ |