日本金属工業(株)『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
4月 取締役庄司平及斎藤平八郎の両名常務取締役に就任 主要事項
4月 赤津勝正監査役に就任 主要事項
5月 国岡保衛取締役退任 主要事項
9月 川崎工場鋼鈑工場に、芝浦共同工業株式会社製750馬力2段熱間圧延機・2基新設、作業を開始 主要事項
9月 横浜工場2段熱間圧延機廃却 主要事項
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月 東京地区大爆撃を受く 主要事項
3月 宮城県遠刈田に仙台工場疎開工事に着手 主要事項
3月 川崎工場は3月より5月にわたる3回の空襲により下記の被害を受く//第1回空襲4月3日爆弾及爆風により全工場の建物及設備に甚大なる被害あり 死者1名 重傷者1名//第2回空襲4月15日焼夷弾及爆弾により木造建物の大部分を焼失 重傷者2名//第3回空襲5月23日焼夷弾により残存木造建物全部焼失 主要事項
5月 本社(銀座伊東屋ビル3階、4階)は空襲により罹災、直ちに横浜工場内に移転 主要事項
6月 川崎工場研究課を仙台工場に疎開 主要事項
6月 川崎工場製鋼工場は、空襲による被害のため作業を停止し、鶴見町東亜企業株式会社に出張製鋼を開始 主要事項
8月 終戦と同時に各工場共作業を休止、全従業員を一応解雇 主要事項
8月 静岡県新所原工場の建設中止 主要事項
8月 本社を横浜工場より、東京都丸の内ビルディング8階に移転 主要事項
10月 横浜工場、仙台工場全面的に作業を再開 主要事項
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月 庄司平常務取締役辞任 主要事項
2月 仙台工場民需転換の許可を受く 主要事項
3月 川崎工場棒鋼工場の圧延作業を再開 主要事項
4月 川崎工場製鋼工場666KVA高周波電気炉1基復旧し、作業を再開 主要事項
4月 制限会社令により、三井本社系制限会社に指定さる 主要事項
PAGE TOP