日本鋼管(株)『日本鋼管株式会社四十年史』(1952.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
11月 「ロイド」委員会より「ロイド」指定工場として登録さる。 わが社の沿革
- 横浜造船所創立(四月)七月より工場建設着手、十二月株式会社浅野造船所と改称(後の鶴見製鉄造船)。 わが社の沿革
- 八幡製鉄所第三期拡張に入る(年産鋼七十五万瓲)。 内外鉄鋼業界
- 電気製鋼所創立(後の大同製鋼)。 内外鉄鋼業界
- アメリカ、銑鉄生産高三、九四三万瓲に達す。 内外鉄鋼業界
- アメリカ、ノースラップ高周波電気炉を発明す。 内外鉄鋼業界
- イギリス、戦車を発明す。 内外主要事項
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
2月 電気製鉄株式会社設立。 わが社の沿革
2月 浅野造船所第一船起工。同進水(七月) わが社の沿革
2月 工場敷地拡張十万坪となる。 わが社の沿革
2月 アメリカ世界大戦に参加。 内外主要事項
3月 厚鈑工場新設。 わが社の沿革
4月 薄鈑工場新設。 わが社の沿革
4月 第二製管工場増設に着手。 わが社の沿革
5月 スポンヂ鉄製造工場建設着手。 わが社の沿革
7月 製鉄業奨励法制定。 内外鉄鋼業界
8月 アメリカ、鉄鋼禁輸断行。 内外鉄鋼業界
9月 平炉二基増設操業開始。 わが社の沿革
9月 製鉄業奨励法施行。 内外鉄鋼業界
9月 暴利取締令制定。 内外主要事項
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