日本鋼管(株)『日本鋼管株式会社六十年史』(1972.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月 横浜造船所創立 当社の沿革
4月 英国、鉄鋼禁輸断行 内外業界
5月 平炉(1回20トン)2基増設、操業開始、計4基 当社の沿革
5月 政府、農商務省内に製鉄業調査会設置 内外業界
7月 横浜造船所工場建設着手 当社の沿革
8月 中形条鋼工場操業開始 当社の沿革
8月 電気製鋼所(後の大同製鋼)創立 内外業界
8月 工場法施行 内外主要事項
11月 ロイド委員会当社をロイド指定工場として登録 当社の沿革
12月 横浜造船所、株式会社浅野造船所と改称 当社の沿革
12月 米国銑鉄生産高3943万トンに達す 内外業界
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
2月 電気製鉄株式会社設立 当社の沿革
2月 浅野造船所第1船白鹿丸起工(7月進水、1万1479DWT) 当社の沿革
2月 工場敷地33万平方メートルに拡張 当社の沿革
2月 米国、世界大戦に参加 内外主要事項
4月 細管工場(後の第2製管工場)建設に着手 当社の沿革
5月 スポンジ鉄製造工場建設着手 当社の沿革
5月 満鉄、鞍山製鉄所着工 内外業界
6月 浅野合資会社に製鉄部を新設 当社の沿革
7月 製鉄業奨励法公布 内外業界
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