清水建設(株)『清水建設百八十年』(1984.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
8月 第一国立銀行、渋沢栄一を頭取に選任 社会の動き
10月 二代喜助、日本橋本石町に店宅を移転、横浜吉田町店を養子満之助に、東京新石町店の経営を養子武治に委嘱 当社のあゆみ
- 店員制を確立し請負業形式を整える 当社のあゆみ
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京神田松枝町から出火(明治最大の火災) 社会の動き
8月 二代清水喜助没、清水満之助(旧姓村田)三代主となる 当社のあゆみ
- 肝煎を廃し場所掛を設ける 当社のあゆみ
- 自由民権運動広がる 社会の動き
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
10月 日本銀行開業 社会の動き
- 川崎久根崎に煉瓦製造工場を経営 当社のあゆみ
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
11月 鹿鳴館開館 社会の動き
- 三代満之助、横浜吉田町店を本店宅とし、東京本石町店を支店に改める 当社のあゆみ
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
- 深川工作所敷地を買収し材料置場に使用 当社のあゆみ
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
12月 太政官を廃し、内閣制度を確立 社会の動き
12月 第一次伊藤博文内閣成立 社会の動き
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
4月 造家学会(後の建築学会)発会(5月本石町清水店で第一回総会開催) 社会の動き
7月 工学士坂本復経入店、技師長に就任 当社のあゆみ
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京電灯会社、初めて営業用電灯点灯 社会の動き
4月 三代満之助没、長男喜三郎(8歳)家督を相続し四代主満之助を襲名 当社のあゆみ
5月 三代主未亡人清水ムメ、四代満之助の後見人となり、渋沢栄一を顧問に迎える 当社のあゆみ
5月 原林之助、支配人に就任 当社のあゆみ
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