(株)日本製鋼所『日本製鋼所社史資料. 続巻』(1978.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
9月 ・【武蔵】連合国軍が進駐し工場主要施設接収(昭和21年4月まで) 事業所事項
11月 ・社長杉政人(海軍出身)退任し常務取締役石塚粂蔵が社長に就任 全社事項
11月 ・定款改正により事業目的から兵器、弾薬等を削除 全社事項
12月 ・従業員を一たん全員解雇、必要最少人員を同日付再採用(昭和20年3月末3万9,642名が7,432名に激減) 全社事項
12月 ・各製作所ごとに逐次民需品生産転換許可をうけ、民需品の生産を開始(昭和21年8月まで) 全社事項
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
2月 ・【武蔵】各種農機具(脱殻機、精米機、揚水ポンプ、農耕用石油エンジン)の生産開始 事業所事項
6月 ・最初の労働協約を「日本製鋼所従業員組合連合会」と締結 全社事項
8月 ・従業員を一律に社員と称し、1級~8級に分ける身分制実施 全社事項
9月 ・【室蘭】鍛鋼ロール(Hs 40のCr鋼)製作 事業所事項
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
1月 ・石塚社長退任し、取締役新谷哲次が社長に就任 全社事項
9月 ・【室蘭】焼入ロールの製造開始八幡製鉄所向け試作 事業所事項
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
8月 ・【室蘭】50t酸性平炉操業再開 事業所事項
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
1月 ・アメリカ軍兵器修理作業に対する技術労務の提供を目的として赤羽作業所を設置 全社事項
4月 ・社員一本化の身分制実施 全社事項
6月 ・広島、横浜、武蔵3製作所および一部営業所を含め1,415名の人員整理案を各組合に提示、広島はし烈な争議に突入 全社事項
7月 ・【広島】広島争議解決(解雇人員全社で1,223名) 事業所事項
9月 ・【広島】注油式ガス圧縮機製造に関する技術をスイス・スルザー・ブラザーズ社から導入 事業所事項
10月 ・組合連合会は解散し、それに伴い労働協約も失効し以後無協約時代 全社事項
11月 ・企業再建整備法による決定整備計画に基づき、宇都宮製作所を分離してパインミシン製造(株)(昭和46年6月シンガー日鋼(株)と改称)を設立 全社事項
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
1月 ・【室蘭】戦後いち早く活気をとり戻した中板工場は、25年1月最高生産量4,500t/月を達成 事業所事項
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