日本製鉄(株)『日本製鉄株式会社史 : 1934-1950』(1959.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
- 八幡製鉄所、高炉セメント生産開始〔798〕。輪西発電所、第2発電所建設〔621〕。兼二浦製鉄所、ナフタリン・ピッチ・アントラセン・クレオソート油・硫安等の生産開始〔796~8〕
- 三菱商事会社設立、八幡製鉄所と三菱合資会社間の原料輸送の契約をひきつぐ〔445〕。竜烟鉄鉱公司創立〔821〕
- 第1次大戦終結、大恐慌〔757〕。原内閣成立、いわゆる八八艦隊建造計画を立案〔543〕
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
2月6日 日本工業クラブ、『製鉄事業保護奨励ニ関スル建議書』(中島久万吉起草)を当局に建議〔24〕
3月 兼二浦製鉄所、第1号平炉作業開始〔17、525〕
4月 八幡製鉄所、紫川水源地始業〔640〕。兼二浦製鉄所、第2号平炉作業開始〔525〕
5月12日 東洋製鉄(戸畑作業所)熔鉱炉火入れ〔16〕
6月 八幡製鉄所、研究課を廃し研究所設置〔586〕。兼二浦製鉄所、大形工場・厚板工場始業〔569〕
12月 八幡製鉄所、第1電気炉工場にて6t傾注式平炉と電気炉の合併法実施〔292、517〕
- 八幡製鉄所、第1ブリキ工場建設〔262〕、洞岡40万坪の埋立開始〔633〕、従業員機関紙「くろがね」創刊〔739〕
- 釜石製鉄所、コッパース式コークス炉作業開始、コールタール、硫安製造開始〔576、798〕
- 竜烟鉄鉱公司、石景山に200t熔鉱炉建設〔821〕
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月 輪西製鉄所、知利別貯水池完成〔640〕
11月 八幡製鉄所、枝光発電所第2号発電機作業開始〔615〕
12月 八幡製鉄所、第2厚板工場作業開始〔543、554〕
- 八幡製鉄所、第1電気炉工場孤光式を採用〔517〕、丹波赤白珪石採掘〔578〕、二瀬出張所鹿町坑を買収〔17〕
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月 臨時財政経済調査会、製鉄合同案を答申〔4、24、26〕
4月16日 八幡製鉄所、東洋製鉄株式会社(戸畑作業所)を受託経営〔16、235、478、647、819〕
8月 八幡製鉄所『製鉄所研究所・研究報告』第1号発刊〔586〕
- 釜石製鉄所、動力源として盛岡電灯岩根橋発電所を確保〔623〕
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