日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

"浅野総一郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
明治16年(1883) 4月16日 政府、深川工作分局を廃止し、セメント工場を浅野総一郎に貸下げる。翌年、払下げ許可 日本鋳造のあゆみ
明治37年(1904) - (この年)浅野総一郎、神奈川県庁に鶴見・川崎間の海岸埋立許可の願出を提出する 日本鋳造のあゆみ
大正9年(1920) 8月18日 当社創立総会開かれ、役員決まる。代表取締役社長 浅野総一郎、専務取締役 伊藤富蔵、取締役技師長 石田富次郎、取締役 浅野八郎・原正幹・安藤作太郎・三橋篤敬、監査役 浅野泰次郎・鈴木紋次郎・浅野良三 日本鋳造のあゆみ
大正11年(1922) 2月 浅野総一郎正四位に叙せられ、勲二等瑞宝章を受ける 日本鋳造のあゆみ
大正15年(1926) 8月25日 第12回定時株主総会において、取締役、監査役任期満了につき改選が行なわれ、代表取締役社長に浅野総一郎(再)、専務取締役に伊藤富蔵(再)、取締役に鈴木紋次郎(新)、監査役に浅野泰次郎(再)・浅野良三(再)・浅野八郎(新)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
昭和5年(1930) 2月27日 第19回定時株主総会において、取締役任期満了につき改選が行なわれ、代表取締役社長に浅野総一郎(再)、専務取締役に伊藤富蔵(再)、取締役に鈴木紋次郎(再)・末兼要(再)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
11月9日 代表取締役社長浅野総一郎死去(83才) 日本鋳造のあゆみ
昭和6年(1931) 2月3日 浅野泰次郎氏名変更により、二代目浅野総一郎となる 日本鋳造のあゆみ
昭和7年(1932) 6月 当時の株数、株主名(総株式数2万株、株主8名)の内訳は次の通りである、//17,300株 浅野造船所(代表取締役 浅野総一郎)//200〃[株] 浅野総一郎//100〃[株] 鈴木紋次郎//100〃[株] 浅野八郎//100〃[株] 浅野良三//2,050100〃[株] 伊藤富蔵//100〃[株] 末兼要//50〃[株] 角井キサ 日本鋳造のあゆみ
昭和8年(1933) 2月28日 第25回定時株主総会において、取締役、監査役任期満了につき改選が行なわれ、代表取締役社長に浅野総一郎(再)、代表取締役副社長に鈴木紋次郎(再)、専務取締役に末兼要(再)、新たに常務取締役として関根要八、監査役に浅野良三(再)・浅野八郎(再)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
昭和14年(1939) 2月14日 第37回定時株主総会において、取締役監査役・任期満了につき改選が行なわれ、代表取締役社長に浅野総一郎(再)、代表取締役副社長に鈴木紋次郎(再)、専務取締役に末兼要(再)、常務取締役に関根要八(再)、取締役に正木寿郎(再)・大村正篤(再)・山上秀雄(再)、監査役に浅野八郎(再)・村上是助(再)・堤芳雄(再)、相談役に浅野良三(再)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
昭和15年(1940) 5月31日 臨時総会開かれる。代表取締役社長の浅野総一郎辞任し、関根要八就任する。取締役3名増員決議が行なわれ、土田富三、中野昌夫、萱島英男を選任し、監査役1名補欠選挙決議が行なわれ、高松誠を選任する。常務取締役に山上秀雄(新)、取締役に浅野総一郎(新)・末兼要(新)、相談役に白石元治郎(新)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
昭和16年(1941) 10月29日 第43回定時株主総会において、取締役任期満了につき改選が行なわれ、代表取締役社長に関根要八(再)、常務取締役に堤芳雄(再)・山上秀雄(再)、取締役に浅野総一郎(再)、末兼要(再)・正木寿郎(再)・大村正篤(再)・土田富三(再)・中野昌夫(再)・萱島英男(再)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
昭和17年(1942) 11月25日 臨時総会開かれる。議題 1)、ダット工場合併についての経過報告 2)、取締役 浅野総一郎[・]末兼要・正木寿郎・大村正篤・土田富三、監査役 村上是助・高松誠辞任についての補欠選挙。取締役に岡崎貞一郎・井上利宗・城戸五郎・岸田栄・高松誠、監査役に白石琢二・中村三男吉を新たに選任する 日本鋳造のあゆみ
PAGE TOP