日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
2月2日 兵部省、大阪に造兵司をおき、長崎製鉄所の機械・職工により操業開始(のち明治5年2月、大阪製造所と改称) 鉄鋼業界の動き
10月20日 工部省を設置、鉱山・製鉄・灯明台・鉄道・伝信機事務を管掌 鉄鋼業界の動き
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
2月8日 横須賀製鉄所の第1期工事竣工(製鉄・錬鉄・鋳造・製缶の各工場および修理用ドックを設置) 鉄鋼業界の動き
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
6月 官営模範工場の設立はじまる(富岡製糸場、愛知紡績所、千住製鉄所など) 主なる社会の動向
9月12日 新橋・横浜間に鉄道開通する(日本最初の鉄道) 主なる社会の動向
12月26日 政府、加賀藩の製鉄所を買収、兵庫製作所を創設(のちの兵庫造船局) 鉄鋼業界の動き
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
12月5日 工部省、赤羽製作所を設置 鉄鋼業界の動き
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
2月 政府、開成学校に製作学教場をおき技術者の速成教育をはじめる 鉄鋼業界の動き
9月24日 海軍省、築地に兵器製造所を設置(のちの海軍兵器製造所) 鉄鋼業界の動き
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月 鉄道寮神戸工場、国産材料(台車・台わく等を除く)によって客貨車を製作 鉄鋼業界の動き
7月11日 田中久重、東京新橋に田中製造所を設立する(芝浦製作所の前身) 鉄鋼業界の動き
8月 赤羽製作所(工部省所管)で広く官民の需要に応じて諸機械の製作を開始 鉄鋼業界の動き
12月 郵便汽船三菱会社、銀10万ドルを出資して、ボイド商会とともに三菱製鉄所(横浜)の経営を開始(三菱の造船業進出の最初) 鉄鋼業界の動き
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
10月 石川島造船所(海軍省所管)廃止される(のち平野富二、同所を借用し平野造船所を設立する) 鉄鋼業界の動き
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月 西南戦役おこる(士族反乱の最後) 主なる社会の動向
8月21日 第1回内国勧業博覧会開かれる(11月まで) 主なる社会の動向
- (この年)京都・柱川間に鋼製レール採用される 鉄鋼業界の動き
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
4月 川崎正蔵、築地官有地に造船所を設立する(のち川崎造船所となる) 鉄鋼業界の動き
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
12月 政府、横浜製作所を平野富二に貸下げ(事業内容は船舶用機関・諸機械の製作。のち明治20年同人に払下げ) 鉄鋼業界の動き
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
2月20日 陸軍省・海軍省・工部省、連署して太政官に製鉄所建設を稟議 鉄鋼業界の動き
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