清水建設(株)『清水建設二百年. 経営編』(2003.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
文化元年(1804) 9月 露国使節レザノフ、長崎に来航、通商を要求 社会・建設業界の動き
- 初代清水喜助(天明3年生まれ、21歳)江戸神田鍛冶町で大工を開業、屋号清水屋、後に神田新石町に移転 当社のあゆみ
天保9年(1838) 3月 江戸城西丸炎上 社会・建設業界の動き
- 初代喜助、江戸城西丸造営に弟子藤沢清七らとともに参加 当社のあゆみ
天保10年(1839) 11月 江戸城西丸竣工 社会・建設業界の動き
11月 水野忠邦、老中首座となる 社会・建設業界の動き
- 藤沢清七(文化12年生まれ、24歳)、清水家に入婿、喜助の長女ヤスと結婚 当社のあゆみ
嘉永2年(1849) 4月 イギリス測量艦来航、江戸湾を測量 社会・建設業界の動き
7月 初代喜助、神祇伯白川家から「日向」の国名を受領 当社のあゆみ
8月 江戸牛込・高田八幡宮(通称穴八幡)随身門竣工 当社のあゆみ
- 初代喜助妻シゲ死去 当社のあゆみ
- この頃、「河内」の国名も受領 当社のあゆみ
嘉永4年(1851) 3月 幕府江戸町民救済のため十組問屋制復興を下命 社会・建設業界の動き
10月 初代喜助、上野輪王寺宮から「出雲」の国名を受領、また輪王寺宮から上野御殿(寛永寺)、浅草御殿(浅草寺)の御用達大工拝命 当社のあゆみ
安政6年(1859) 1月 幕府、長崎・箱館(現・函館)・神奈川(横浜)の三港開港について同地へ出稼ぎ・移住・自由売買を許可 社会・建設業界の動き
5月 初代清水喜助死去(76歳)、娘婿清七(43歳)、二代清水喜助を襲名 当社のあゆみ
5月 幕府、6月以降、神奈川・長崎・箱館三港で露・仏・英・蘭・米の五国と自由貿易を許可する旨を布告 社会・建設業界の動き
6月 神奈川・長崎・箱館の三港、開港 社会・建設業界の動き
6月 神奈川奉行、設置 社会・建設業界の動き
- 横浜坂下町に店宅を新築、横浜へ進出 当社のあゆみ
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