※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文化元年(1804) | 9月 | 露国使節レザノフ、長崎に来航、通商を要求 | 社会・建設業界の動き |
- | 初代清水喜助(天明3年生まれ、21歳)江戸神田鍛冶町で大工を開業、屋号清水屋、後に神田新石町に移転 | 当社のあゆみ | |
天保9年(1838) | 3月 | 江戸城西丸炎上 | 社会・建設業界の動き |
- | 初代喜助、江戸城西丸造営に弟子藤沢清七らとともに参加 | 当社のあゆみ | |
天保10年(1839) | 11月 | 江戸城西丸竣工 | 社会・建設業界の動き |
11月 | 水野忠邦、老中首座となる | 社会・建設業界の動き | |
- | 藤沢清七(文化12年生まれ、24歳)、清水家に入婿、喜助の長女ヤスと結婚 | 当社のあゆみ | |
嘉永2年(1849) | 4月 | イギリス測量艦来航、江戸湾を測量 | 社会・建設業界の動き |
7月 | 初代喜助、神祇伯白川家から「日向」の国名を受領 | 当社のあゆみ | |
8月 | 江戸牛込・高田八幡宮(通称穴八幡)随身門竣工 | 当社のあゆみ | |
- | 初代喜助妻シゲ死去 | 当社のあゆみ | |
- | この頃、「河内」の国名も受領 | 当社のあゆみ | |
嘉永4年(1851) | 3月 | 幕府江戸町民救済のため十組問屋制復興を下命 | 社会・建設業界の動き |
10月 | 初代喜助、上野輪王寺宮から「出雲」の国名を受領、また輪王寺宮から上野御殿(寛永寺)、浅草御殿(浅草寺)の御用達大工拝命 | 当社のあゆみ | |
安政6年(1859) | 1月 | 幕府、長崎・箱館(現・函館)・神奈川(横浜)の三港開港について同地へ出稼ぎ・移住・自由売買を許可 | 社会・建設業界の動き |
5月 | 初代清水喜助死去(76歳)、娘婿清七(43歳)、二代清水喜助を襲名 | 当社のあゆみ | |
5月 | 幕府、6月以降、神奈川・長崎・箱館三港で露・仏・英・蘭・米の五国と自由貿易を許可する旨を布告 | 社会・建設業界の動き | |
6月 | 神奈川・長崎・箱館の三港、開港 | 社会・建設業界の動き | |
6月 | 神奈川奉行、設置 | 社会・建設業界の動き | |
- | 横浜坂下町に店宅を新築、横浜へ進出 | 当社のあゆみ |