※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政6年(1859) | - | 神奈川戸部村外国奉行所、石崎関門ならびに番所および野毛坂陣屋前役宅などを施工 | 当社のあゆみ |
文久元年(1861) | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 幕府、品川御殿山に各国公使館の設置を許可 | 社会・建設業界の動き | |
- | 二代清水喜助、神奈川役所定式普請兼入札引受人を拝命 | 当社のあゆみ | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 江戸向島に三囲稲荷内社殿を造営 | 当社のあゆみ | |
7月 | 薩英戦争 | 社会・建設業界の動き | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 薩長連合成る | 社会・建設業界の動き | |
6月 | 幕府、征長勅許を得て長州藩に宣戦布告 | 社会・建設業界の動き | |
7月 | 横須賀製鉄所一部完成 はじめて新造船工事に着手 | 社会・建設業界の動き | |
10月 | 通称豚屋火事で横浜坂下町店宅類焼、吉田町に家屋を新築し移転。釘・鉄物商のほか材木商を兼業(後」吉田町店類焼のため宮川町へ転居) | 当社のあゆみ | |
12月 | 徳川慶喜十五代将軍となる | 社会・建設業界の動き | |
- | 村田満之助(14歳)、宮川町の別荘に寄寓 | 当社のあゆみ | |
- | 横浜新田北方製鉄所施工 | 当社のあゆみ | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 睦仁親王(明治天皇)践祚 | 社会・建設業界の動き | |
1月 | 渋沢栄一、徳川昭武の「パリ万国博覧会日本使節団」に随行 | 社会・建設業界の動き | |
10月 | 将軍徳川慶喜大政奉還 | 社会・建設業界の動き | |
- | 神奈川ドイツ公使館施工 | 当社のあゆみ | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 幕府軍、薩長軍と交戦、鳥羽伏見の戦い | 社会・建設業界の動き | |
7月 | 江戸を東京と改称 | 社会・建設業界の動き | |
8月 | 幕府特命の築地ホテル館(擬洋風建築)竣工 | 当社のあゆみ | |
8月 | 二代喜助、築地ホテル館を経営 | 当社のあゆみ |