※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 自由党、結党(板垣退助、総理となる) | 社会・建設業界の動き | |
- | 肝煎制を廃し、場所掛制を採用 | 当社のあゆみ | |
- | 三井銀行札幌支店竣工 | 当社のあゆみ | |
- | 横浜外国人居留地、下水改良工事施工 | 当社のあゆみ | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 三代満之助、会計帳簿を改良 | 当社のあゆみ | |
10月 | 日本銀行開業 | 社会・建設業界の動き | |
11月 | 銀座にはじめてアーク灯点灯 | 社会・建設業界の動き | |
- | 川崎久根崎に煉瓦製造工場を経営 | 当社のあゆみ | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 東京堀川護岸工事竣工 | 当社のあゆみ | |
1月 | 三代満之助、横浜吉田町店を本店とし、日本橋本石町居宅を支店とする | 当社のあゆみ | |
2月 | 日本最初の電気事業会社として東京電灯株式会社設立 | 社会・建設業界の動き | |
4月 | 深川工作分局を廃止(セメント工場を明治17年7月浅野総一郎に払い下げ) | 社会・建設業界の動き | |
7月 | 官報第一号発刊 | 社会・建設業界の動き | |
11月 | 鹿鳴館開館 | 社会・建設業界の動き | |
- | 東京市土木定式請負人を拝命 | 当社のあゆみ | |
- | 横浜中村川と吉田川の浚渫工事を施工(コンベヤー式機械船を初使用) | 当社のあゆみ | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 皇居造営起工式 | 社会・建設業界の動き | |
6月 | 高崎線、上野―高崎間鉄道開通 | 社会・建設業界の動き | |
- | 深川島田町に土地を購入、貯木場と木材切組場を開設 | 当社のあゆみ | |
- | 横浜加賀町警察署施工 | 当社のあゆみ |