※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文化4年(1807) | 4月 | 樺太およびエトロフ島にロシア船来航、アメリカ船長崎に来航 | 一般事項 |
- | イギリスのサー・ハンフリー・デビーはアルミナとカリウムとの混合融体を電気分解して新しい金属を発見。アルミウム(Alumium)と名付ける | 業界関係事項 | |
文政4年(1821) | 3月 | 幕府、民間でみだりに銀を使用するのを禁ず | 一般事項 |
- | フランスの化学者P.ベルサーは南仏レ・ボー村付近でアルミニウムの原鉱石を発見し、その地名にちなんでボーキサイト(Bauxite)と名付ける | 業界関係事項 | |
弘化2年(1845) | - | 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 英艦、長崎に来航、測量許可と薪水を求める | 一般事項 | |
- | ドイツのフレデリック・ビューラーは小粒の金属アルミニウムを製出し、アルミニウムの比重、化学的性質などを測定する | 業界関係事項 | |
嘉永3年(1850) | 12月 | 江川英竜(太郎左衛門)韮山に反射炉を築く | 一般事項 |
- | アルミニウムのメタルがナポレオン3世に献上され、金銀とならんで貴金属の一つに数えられる | 業界関係事項 | |
安政元年(1854) | 3月 | 幕府、ペリーと日米和親条約(神奈川条約)を締結 | 一般事項 |
- | フランスのヘンリ・サンテ・クレール・ドヴィルは塩化アルミニウムをナトリウムで還元し、アルミニウムの工業生産の基礎をつくるドイツのロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンは塩化ナトリウム・アルミニウムを電流によって分解し、アルミ電解の基礎をつくる//イギリスのベルシーは化学的分解法によって、永晶石をナトリウムで還元してアルミニウムを抽出する | 業界関係事項 | |
安政2年(1855) | 4月 | フランス艦隊下田入港 | 一般事項 |
9月 | オランダ国王、蒸気船スンピン号を幕府に贈る | 一般事項 | |
- | フランスのヘンリ・サンテ・クレール・ドヴィルが試作したアルミニウム棒は、パリの大博覧会に出品され、「粘土から得た銀」と称して世人の注目をひく | 業界関係事項 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月28日 | 4国、下関海峡通通航の自由・日本内乱不干渉を決議 | 一般事項 | |
9月16日 | 英・米・仏・蘭4国公使、条約勅許を迫る(兵庫開港の) | 一般事項 | |
- | アルミニウムの世界生産1.2t | 業界関係事項 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ドイツのW・V・ジーメンスは直流発電機を完成し、工業的に大容量の電気を供給する基礎を確立する | 業界関係事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | パリの万国博覧会に徳川昭武、渋沢栄一出席し、日本人として初めてアルミニウムの製品を見る | 業界関係事項 | |
5月24日 | 兵庫開港勅許 | 一般事項 | |
10月 | 幕末の洋学者柳川春三『西洋雑話』巻1に「新銀ならびにアルミニウムと名付ける金属の説」を掲載し注目をひく | 業界関係事項 |