※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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元禄9年(1696) | 9月 | 別子・立川抜合につき検使曲淵市郎右衛門ら来山 | 別子 |
- | 小泉銅鉛山(岡山県)稼行(~元禄10) | 住友・一般 | |
元禄10年(1697) | 1月 | 炭運上を貫目改めに変更、銅山役人増員 | 別子 |
2月4日 | [閏2月]抜合につき評定所裁決、分水線を境界とする | 別子 | |
元禄11年(1698) | 1月 | このころ日本の産銅量絶頂、輸出銅定高890万2000斤 | 住友・一般 |
- | この年別子産銅量、明治以前の最高を記録 | 別子 | |
元禄12年(1699) | 8月 | 銅山役人、床屋の規定書制定 | 別子 |
9月 | 東山大水抜の開さく出願、翌年から6か年の継続稼行出願、いずれも許可 | 別子 | |
12月14日 | 赤穂浪士、吉良義央を討つ | 住友・一般 | |
元禄14年(1701) | 1月 | 銀座加役の銅座(第1次)設立 | 住友・一般 |
4月 | 京都銭座長崎屋忠七ら3人、立川銅山請負稼行 | 別子 | |
元禄15年(1702) | 1月 | 当主吉左衛門友芳出府、勘定奉行荻原重秀に産銅増加策を上申 | 別子 |
3月 | 金1万両拝借、買請米6000石、別子銅山永代稼行、新居浜浦使用、いずれも認可 | 別子 | |
6月 | 吉岡銅山第2次稼行(~正徳5) | 住友・一般 | |
8月 | [閏8月]代官遠藤新兵衛、買請米受取定を制定 | 別子 | |
元禄16年(1703) | 7月 | 別子・立川抜合、鋪内に分杭を立てる | 別子 |
宝永元年(1704) | 8月 | 別子・立川抜合、鋪内に分杭を立てる | 別子 |
- | 立川銅山と周辺村々、幕領となる | 別子 | |
宝永2年(1705) | 3月 | 東山大水抜の開さく工事中止 | 別子 |
宝永4年(1707) | 11月23日 | 富士山噴火 | 住友・一般 |