住友金属鉱山(株)『住友別子鉱山史. 別巻』(1991.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
享保6年(1721) 8月 代官石原新十郎支配下の伊予幕領が松山藩御預り所となる 別子
享保7年(1722) 10月 松山藩、稼人の狼籍を戒める覚書を発布 別子
享保8年(1723) 1月 当主吉左衛門友昌、伊予下向(3月まで) 別子
享保9年(1724) 3月22日 大坂大火(妙知焼け)、本店・吹所類焼 住友・一般
享保12年(1727) 10月 立川銅山、京都糸割符仲間から大坂屋永次郎に譲渡 別子
- 翌年にかけ別子の稼人離山騒動、立川に移籍 別子
享保15年(1730) 7月 水抜き普請と探鉱の助成として拝借米9000石出願、許可 別子
- 別子の掘子10人離山、無断で立川に移る 別子
享保17年(1732) - 畿内以西蝗害多発、飢饉に 住友・一般
元文元年(1736) 5月 元文の貨幣改鋳始まる 住友・一般
元文3年(1738) 4月 銀座加役の銅座(第2次)設立 住友・一般
7月1日 立川銅山稼人170人離山騒動 別子
寛保2年(1742) - 長崎貿易商売半減令、輸出銅200万斤 住友・一般
延享3年(1746) - 御用銅定高310万斤 住友・一般
寛延元年(1748) 1月 立川銅山譲渡の願書を前年9月松山藩に提出、国領川流域西条藩領より異義申立て 別子
9月 御勘定所にて譲渡許可、のち撤回 別子
11月 銅座役人、別子・立川を見分 別子
12月23日 別子火災、下財小屋など多数焼失(~24) 別子
寛延2年(1749) 2月11日 美坂杢兵衛・証人入江理兵衛、立川銅山の請負稼行出願 別子
8月6日 同上許可 別子
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