※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | (米英に対する宣戦の布告あり) | 佐藤千寿年譜 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | アメリカ空軍日本本土を初空襲 | ||
5月 | 高木武雄取締役辞任 | ||
5月 | 金属類強制譲渡命令発動 | ||
9月 | 三年間の必要修学単位中一単位を残してすべて受験合格し、九月初より一〇月未まで秋の二ケ月を朝鮮、満州に遊ぶ。ハルピン、新京、奉天、熱河、大連、平壌、京城、慶州等を一人放浪 | 佐藤千寿年譜 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 代表取締役鈴木初太郎死去、未亡人鈴木秀取締役就任 | ||
6月 | 木内忠治代表取締役に就任 | ||
6月 | 全国に金属回収会社一八社設立 | ||
7月 | 東京都制を実施 | ||
9月 | 同大学[東京帝国大学]を繰上卒業//国策機関、南方開発金庫に奉職、業務部業務課勤務(初任給七五円)信用調査係、外地融資係、為替係、内地融資係等歴任 | 佐藤千寿年譜 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 疎開命令発動 | ||
3月 | 平山卓爾代表取締役に就任 | ||
4月 | 千住金属工業株式会社と社名変更 | ||
8月 | 鈴木秀取締役辞任 | ||
9月18日 | 塩谷温三女恒と結婚 | 佐藤千寿年譜 | |
11月 | アメリカB29による東京はじめての大空襲 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 米軍の大空襲により、麹町富士見町の居宅全焼//妻の実家、小石川久堅町の礫荘に仮寓 | 佐藤千寿年譜 | |
5月15日 | 臨時召集 横須賀海兵団に入る。第五〇三部隊愛知県碧海郡明治村駐屯 | 佐藤千寿年譜 | |
8月15日 | 終戦 召集解除、職場にもどる | 佐藤千寿年譜 | |
8月 | 広島・長崎に原子爆弾投下 |