千住金属工業(株)『四十年のあゆみ』(1978.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
12月 (米英に対する宣戦の布告あり) 佐藤千寿年譜
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
4月 アメリカ空軍日本本土を初空襲
5月 高木武雄取締役辞任
5月 金属類強制譲渡命令発動
9月 三年間の必要修学単位中一単位を残してすべて受験合格し、九月初より一〇月未まで秋の二ケ月を朝鮮、満州に遊ぶ。ハルピン、新京、奉天、熱河、大連、平壌、京城、慶州等を一人放浪 佐藤千寿年譜
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
5月 代表取締役鈴木初太郎死去、未亡人鈴木秀取締役就任
6月 木内忠治代表取締役に就任
6月 全国に金属回収会社一八社設立
7月 東京都制を実施
9月 同大学[東京帝国大学]を繰上卒業//国策機関、南方開発金庫に奉職、業務部業務課勤務(初任給七五円)信用調査係、外地融資係、為替係、内地融資係等歴任 佐藤千寿年譜
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月 疎開命令発動
3月 平山卓爾代表取締役に就任
4月 千住金属工業株式会社と社名変更
8月 鈴木秀取締役辞任
9月18日 塩谷温三女恒と結婚 佐藤千寿年譜
11月 アメリカB29による東京はじめての大空襲
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月10日 米軍の大空襲により、麹町富士見町の居宅全焼//妻の実家、小石川久堅町の礫荘に仮寓 佐藤千寿年譜
5月15日 臨時召集 横須賀海兵団に入る。第五〇三部隊愛知県碧海郡明治村駐屯 佐藤千寿年譜
8月15日 終戦 召集解除、職場にもどる 佐藤千寿年譜
8月 広島・長崎に原子爆弾投下
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