※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | わが社創立される。//名称=東京製綱会社、目的=各種綱具の製造、資本金=七万円。//本社および工場を東京府麻布区麻布本村町百四十五番地におく。社長渡部温、支配人山田昌邦。 | わが社の記録 | |
3月 | 英国へ製綱機械設備一式を発註。(10月まで) | わが社の記録 | |
3月 | (明治十八年よりの第一次伊藤博文内閣継続)海防整備の勅令下る。 | 内外重要事項 | |
4月21日 | 英国内機によつて麻綱製造を開始//芝、紅葉館で、開業式を挙行。//開催中の東京府工芸品共進会に、綱類各種出品。 | わが社の記録 | |
5月9日 | 右[東京府工芸品]共進会褒賞授与式において二等賞銀牌を授与される。 | わが社の記録 | |
5月 | 各国公使との条約改正会議開かれる。 | 内外重要事項 | |
9月 | 条約改正問題に関して、外務大臣井上馨引責辞職 | 内外重要事項 | |
12月 | 保安条令公布、民間不平の士帝都を逐われるもの多数に上る。 | 内外重要事項 | |
12月 | 島津久光死去。年七十一。 | 内外重要事項 | |
- | 仏国、仏領インド支那総督をおく。 | 内外重要事項 | |
- | この年、前年までの不況を脱し、一般の景気とみに上昇。 | 内外重要事項 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 資本金三万円を増資して、十万円とする。 | わが社の記録 | |
2月 | 註文中の製綱機蒸汽機関相次いで到着。招聘技師ウィリアム・ブルーグ着任。(5月まで) | わが社の記録 | |
4月 | 市町村制公布される。 | 内外重要事項 | |
4月 | 枢密院官制公布。伊藤博文枢密院議長に就任、黒田清隆内閣総理大臣となる。 | 内外重要事項 | |
5月 | 憲法草案、初めて枢密院の議に上る。 | 内外重要事項 | |
7月 | 磐梯山噴火、数村埋没。 | 内外重要事項 | |
10月6日 | 新設機械、蒸汽機関による運転式挙行 | わが社の記録 | |
- | この年、左記特約販売店を新設。//大村五左衛門、宇田川清兵術、鈴木弥兵衛(以上東京)//渡辺熊四郎(函館) | わが社の記録 | |
- | この年、後藤象二郎大同団結を唱え全国を遊説、反政府熱を煽る。 | 内外重要事項 |