日本軽金属(株)『日本軽金属二十年史』(1959.12)

"山田康太郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和12年(1937) 11月25日 萩原英雄、山田康太郎および内海清温は富士川電力取締役に就任す。 当社
昭和16年(1941) 7月 日本ピッチコークス工業の第2回増資に際し、その半額を引受け、当社より社長に中川末吉、取締役に上島清蔵、山田康太郎、萩原英雄就任し経営の任にあたる。 当社
昭和19年(1944) 2月21日 常務取締役上島清蔵、同山田康太郎本店の生産担当者に就任す。 当社
昭和21年(1946) 5月31日 山田康太郎社長に、西田伝五郎、武田秀洽副社長に就任す。草野義一、安田幾久男、藤井御舟、大倉幸雄取締役に就任す。 当社
10月16日 特別管理人に山田康太郎、西田伝五郎、栗栖赳夫、吉田一郎選任さる。 当社
11月17日 山田康太郎取締役社長を辞任す。西田伝五郎、武田秀治取締役副社長を辞任す。上島清蔵取締役を辞任す。西田伝五郎特別管理人を辞任す。 当社
12月19日 草野義一社長に就任す。樋口正吉、増田正雄、浜田隆、加藤重一、山田雄吉取締役に就任す。山田康太郎特別管理人を辞任す。 当社
昭和25年(1950) 12月25日 特殊軽合金に対し資本的人的に経営に参加し、社長に当社前社長山田康太郎就任す。 当社
PAGE TOP