吉田工業(株)『YKK五十年史』(1984.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
1月 東京市日本橋区蛎殻町に吉田忠雄(現社長)サンエス商会を開業、スライドファスナーの加工・販売を開始、資本金350円、商標SSS印 吉田工業のあゆみ
- 軍需工業監督制実施 社会一般
- 印綿不買解除 社会一般
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
2月 ファスナー業界の輸出急速に増加。作業体制充実のため女子従業員募集 ファスナーのあゆみ
6月 テープ、務歯、スライダーなど全部品を仕入れ、量産体制をとる ファスナーのあゆみ
6月 国内販売、輸出ともファスナー事業盛況を呈す ファスナーのあゆみ
11月 商標を3S印に変更。事業順調に進展し、南米諸国およびオーストラリアから輸出の引合いを受く 吉田工業のあゆみ
- 輸出組合中央会創立 社会一般
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
1月 アメリカ、メキシコ、カナダ、インド、南米諸国、オーストラリアに向け第1回の輸出に成功 ファスナーのあゆみ
- 2・26事件 社会一般
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
- 新工場建設用地を物色検討、国内需要ならびに輸出は逐年飛躍的に増加。従業員数および下請関係の増加を図る 吉田工業のあゆみ
- 経済団体連盟結成 社会一般
- 日中戦争勃発 社会一般
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
2月 東京市江戸川区小松川に工場敷地121坪を購入、工場85坪を新築、吉田工業所と改名 吉田工業のあゆみ
3月 機械設備としてエキセンプレス4台、パワープレス2台稼働 ファスナーのあゆみ
5月 第1次戦時統制令により、伸銅品の国内製造販売禁止。以後すべて輸出および陸軍・海軍部に納品 ファスナーのあゆみ
6月 アメリカ向け年間輸出数量300万ダースと決定(国内ファスナー組合員総輸出量)。国内需用のためアルミファスナーを製造・販売 ファスナーのあゆみ
7月 イギリスの雑誌に当社製品ファスナーの広告を初めて掲載(活版1ページ、掲載料50円) ファスナーのあゆみ
9月 横浜正金銀行を貿易上の取引銀行にする 吉田工業のあゆみ
- 軍需工業動員法発動 社会一般
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