吉田工業(株)『YKK五十年史』(1984.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
- 電力国家管理法公布 社会一般
- 綿糸配給切符制実施 社会一般
- 綿製品の製造加工販売の制限 社会一般
- 輸出奨励のため船荷の8割を国家が補償 社会一般
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
1月 国内輸出業者9社、アウトサイダー34社、計43社で輸出組合を結成 ファスナーのあゆみ
3月 千葉県木更津町および久留里町に分工場を設置 吉田工業のあゆみ
3月 業務発展に伴い吉田久松(吉田忠雄社長次兄)入社 吉田工業のあゆみ
4月 アメリカ向け年間輸出取引枠を輸出工業組合に対し430万ダースと決定 ファスナーのあゆみ
9月 大阪市生野区舎利寺町に大阪支店を開設。初代支店長に高橋利雄を起用。生産の増強、輸出の振興を図る 吉田工業のあゆみ
9月 真鍮・銅・綿関係の一般使用が極度に制限され、戦時経済体制の影響を受く。ステンレス、アルミ、スフなどによるファスナーの製造を続行 吉田工業のあゆみ
- 米穀配給統制法公布 社会一般
- 賃金統制令、価格等統制令、国民徴用令公布 社会一般
- 日米通商条約廃棄 社会一般
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
3月 高橋大阪支店長の出征により、豊田安博を後任に起用、新支店長の努力により済州島まで下請の範囲を広げる。4万ダースの驚異的生産を成し遂げる 吉田工業のあゆみ
4月 国内ファスナー製造業者22社が工業組合に入会 ファスナーのあゆみ
7月 朝鮮電球株式会社と資本提携によるファスナー製造工場を釜山に建設のためエキセンプレス10台、仕上機械などを発送したが、国際情勢悪化により中止 ファスナーのあゆみ
8月 横須賀海軍軍需部に航空服付属品としてファスナーを納入。海軍指定工場になる ファスナーのあゆみ
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
4月 国内販売および輸出事情悪化 ファスナーのあゆみ
6月 メキシコに対する船積みを最後に国際情勢悪化、ついに輸出禁止 ファスナーのあゆみ
10月 ファスナー業界連名で廃業宣言 ファスナーのあゆみ
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