吉田工業(株)『YKK五十年史』(1984.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
11月 一部復興なり生産開始。将来の貿易再開に備え品質改良、設備拡充に専念 ファスナーのあゆみ
- 日本の敗戦により第2次世界大戦終結 社会一般
- 輸出入許可制を指令 社会一般
- 主食配給切り下げ(2合1勺) 社会一般
- 財閥解体指令 社会一般
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
4月 工場および設備拡充のため上村木工場の隣接地に敷地を買収し工場増築、建坪378坪になる。従業員30名に増員、手植方式により増産を図る。販売促進と宣伝のため国内全域に出張員を派遣 吉田工業のあゆみ
11月 GHQから輸出品の照会を受け見本を提出、査定の結果合格、量産の必要を感じ設備拡充を急ぐ ファスナーのあゆみ
- 労働組合法施行 社会一般
- 企業再建整備法公布 社会一般
- 新憲法公布 社会一般
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
4月 民間貿易再開ならびに国内販売に対処するため、東京都中央区日本橋馬喰町に営業所開設、輸出部設置 吉田工業のあゆみ
4月 再度GHQから輸出見本の提出を求めらる。海外貿易商社から照会を受く ファスナーのあゆみ
12月 業界として戦後第1回の輸出商談に成功 ファスナーのあゆみ
- 独占禁止法公布 社会一般
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
2月 資本金150万円に増資、作業の機械化を図る 吉田工業のあゆみ
4月 商標をYKKとする 吉田工業のあゆみ
6月 貿易事務処理の完璧を期すため吉田貿易株式会社を設立 吉田工業のあゆみ
6月 貿易商社よりファスナーの注文殺到 吉田工業のあゆみ
8月 魚津木工株式会社を買収(魚津工場または本江工場と呼称)、材料から製品までの一貫作業を企図、伸銅工場の建設に着手。引き続きテープおよび丸打紐の生産工場新設を計画 吉田工業のあゆみ
- GHQ、経済安定9原則発表 社会一般
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