清水建設(株)『棟梁から総合建設業へ : 清水建設200年の歴史』(2003.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
- 原林之助が支配人に就任、初の営業規則制定(支配人と技師長の業務分担制) 当社のあゆみ
- 東京電灯会社はじめて営業用電灯を点灯 社会の動き
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- 〓[┐+キ]工商会発足 当社のあゆみ
- 新橋~神戸間の鉄道が全通 社会の動き
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
- 王子製紙会社工場事務所 代表的建物
- 大日本帝国憲法施行 社会の動き
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
- 名古屋に進出。名古屋出張所を開設 当社のあゆみ
- 設計部の前身である製図場の体制を確立 当社のあゆみ
- 御茶の水橋 代表的建物
- 濃尾地震 社会の動き
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
- 日本橋本石町店を本店、横浜店を支店に改める 当社のあゆみ
- 支配人原林之助、造家学会で建築家以外では初の講演 当社のあゆみ
- 日本最初の水力発電所である蹴上発電所(京都市)建設 社会の動き
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- 京都に進出。京都出張所を開設 当社のあゆみ
- 厩橋 代表的建物
- 神宮外宮神楽殿 代表的建物
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- 大阪に進出。大阪出張所を開設 当社のあゆみ
- 清国に対し宣戦布告(日清戦争) 社会の動き
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
- 韓国に進出 当社のあゆみ
- 永代橋改築 代表的建物
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