(株)島津製作所『島津製作所改組三十五年記念誌』(1952.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
6月 京城府黄金町に京城駐在所を設置。 改組以後
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
10月 河原町通の拡張に際し、河原町工場全部を三条工場構内に新築移転した。 改組以後
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 人絹紡糸用ポンプの製造販売開始。 改組以後
5月 人絹用スピネレットの製造販売開始。 改組以後
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
11月 河原町二条南本店営業所(鉄筋コンクリート造四階建、現本店社屋)竣工。 改組以後
12月 上京区木屋町二条南に島津レントゲン技術講習所(修行期間6ケ月)を開設。 改組以後
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月 常務取締役島津源吉は島津感応起電機の発明(明治43年発明)に付帝国発明協会より表彰せられ、特等賞を受けた。 改組以後
11月 天皇陛下京都皇宮に御駐輦の際、器械標本類8点を御買上の光栄に浴した。 改組以後
- 社長島津源蔵は多年実業界に尽した功績並に発明の功労によつて勲五等に叙せられ瑞宝章を授けられた。 改組以後
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
4月 新築中の東京支店営業所(鉄筋コンクリート造4階建)竣工し仮営業所復帰。 改組以後
10月 社長島津源蔵の叙勲並に還暦を祝して当社及び日本電池株式会社従業員一同が寿像を社長山荘に建立した。 改組以後
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
2月 化学器械普及と新製品を紹介するため月刊ラボラトリーを発行。 改組以後
3月 チェコスロバキア政府と其の製造に係るラヂウムについて日本及満洲国に於ける販売総代理契約を締結した。 改組以後
11月 京城府南大門通に京城出張所を設置。 改組以後
12月 社長島津源蔵は本邦十大発明家の中に加えられ宮中において賜餐の光栄に浴した。 改組以後
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
10月 台北市本町に台北出張所を設置。 改組以後
- 真空ポンプ、光学機器、化学天秤の製造販売を開始。 改組以後
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
10月 伯林出張所廃止。 改組以後
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
4月 社長島津源蔵は其の発明に係る易反応性鉛粉製造法に付いて帝国発明協会から恩賜記念賞及び賞金を授与せられた。 改組以後
4月 常務取締役島津源吉は其の発明に係る島津式エアー瓦斯発生器(明治42年発明)に付いて帝国発明協会から進歩賞を受けた。 改組以後
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