※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 材料試験室完工(三条工場内 現東23号館) | 社内事項 | |
11月10日 | 社長島津源蔵 勲五等瑞宝章を受ける | 社内事項 | |
- | ラマン ラマン効果を発見 | 社外事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月15日 | 奉天駐在員事務所を開設(奉天市稲葉町21)昭和10年移転(奉天市浪速通ミヤコビル)その後出張所・事務所と呼称変更し 昭和19年8月以降駐在員事務所となり終戦時閉鎖 | 社内事項 | |
- | 電熱機器(電気炉・乾燥器) 工業計器(炭酸ガス計)の製造を開始 | 社内事項 | |
- | この年10月24日ニューヨーク株式市場の大暴落によって 世界経済恐慌がはじまる この恐慌は昭和7年までつづく | 社外事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 「ラボラトリー」を創刊(月刊技術機関誌) | 社内事項 | |
4月22日 | ロンドン海軍軍縮会議で日英米3国条約に調印(昭和6年1月1日公布) | 社外事項 | |
12月11日 | 社長島津源蔵 わが国十大発明家の一人として賜餐にあずかる | 社内事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 重要産業統制法公布 | 社外事項 | |
9月18日 | 柳条溝の満鉄線路爆破事件(満州事変おこる) | 社外事項 | |
10月10日 | 台北出張所を開設(台北市本町1丁目貯蓄ビル内)昭和9年移転(台北市本町3丁目)し終戦時閉鎖 | 社内事項 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 上海事変おこる | 社外事項 | |
3月1日 | 満洲国建国宣言 | 社外事項 | |
5月15日 | 陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃(5.15事件) | 社外事項 | |
7月1日 | 主管制を実施(総務・機械・人絹器械・科学器械・標本・レントゲン各部を常務取締役以上が主管として分担統轄する) | 社内事項 | |
12月29日 | マネキン工場完工(三条工場内) | 社内事項 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | 日本 国際連盟脱退の詔書発布 | 社外事項 | |
4月22日 | 社長島津源蔵 帝国発明協会から恩賜記念賞を受ける(易反応性亜酸化鉛粉製造法の発明に対し)常務取締役島津源吉 同じく進歩賞を受ける(島津式エアーガス発生器の発明に対し) | 社内事項 | |
6月19日 | 丹那トンネル貫通(着工大正7年4月1日 開通式昭和9年12月1日) | 社外事項 |