※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 初代島津源蔵、京都木屋町二条下ル西生州町(現創業記念資料館所在地)において理化学器械製造の業を始める | 社内事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ベル、実用的電話を発明 | 社外事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争始まる | 社外事項 | |
10月 | 明治8年現在の戸籍人口は3399万人と発表される | 社外事項 | |
11月20日 | 錫製ブージー(医療具)を第1回内国勧業博覧会に出品し、褒状を受賞 | 社内事項 | |
12月 | 京都御所で軽気球の飛揚に成功 | 社内事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 東京株式取引所が開業 | 社外事項 | |
- | 初代源蔵、ワグネル博士の技術指導を受ける(明治14年8月まで) | 社内事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | エジソン、白熱電灯を発明 | 社外事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 蒸溜器を第2回内国勧業博覧会に出品し、有功2等賞を受賞 | 社内事項 | |
4月7日 | 農商務省を設置 | 社外事項 | |
11月11日 | 日本鉄道会社設立 | 社外事項 | |
- | 往復動式排気機(真空ポンプ)の製造開始 | 社内事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 万国工業所有権保護同盟成立(日本は明治32年に加盟) | 社外事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月9日 | 商標条例制定 | 社外事項 | |
- | 梅次郎(二代源蔵)、ウイムシャースト式感応起電機を完成 | 社内事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月20日 | 日本、パリ国際メートル法条約に加入 | 社外事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 木屋町工場兼店舗を拡張、330m2となる | 社内事項 | |
3月1日 | 帝国大学令公布 | 社外事項 | |
4月10日 | 師範学校令、小学校令、中学校令制定(学制確立) | 社外事項 |