※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月8日 | 太平洋戦争勃発 | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月2日 | 大日本婦人会発足 | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
2月 | 工務室、設計室、食堂、更衣室落成 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
4月20日 | HD200形半自動多刃旋盤、FB12形自動多刃旋盤につき、商工省機械試験所の新機種審査を受く | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
6月 | 機械工場完成 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
- | 〓[ハート]欲しがりません勝つまでは | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 上野動物園で猛獣を毒殺 | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | 軍需会社の指定を受く | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月15日 | 日本無条件降伏、第2次世界大戦終結 | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
11月27日 | 労働組合結成 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
11月28日 | 豊田利三郎社長が辞任、菅隆俊常務が社長就任 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
12月4日 | 商号を刈谷工機株式会社と変更 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
12月8日 | 軍需会社から民需会社への転換許可を受く | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
- | 〓[ハート]一億総ざんげ | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 玉津浦塩田採取(49.7まで) | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
4月 | 靴下編機、メリヤス編機、オーバーロックミシンおよび紡機用各種筋ローラーの生産開始 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
6月27日 | 「労働協約」締結 | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
11月3日 | 日本国憲法公布 | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
- | 〓[ハート]あっそう、リンゴの歌 | 社会のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 自動車修理用機械の生産開始(再生シリンダーボーリングマシン、バルブリフェーサ) | 豊田工機のできごと〔会社創業と戦後の苦境克服(~昭和30年)~1955〕 |