※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 日本共産党結成 | 政治・経済・社会 | |
12月26日 | 定款に「鉄砲および部分品の製造販売」を追加 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
12月 | 川口屋鉄砲店と鉄砲製造販売契約を締結 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
12月 | ソビエト社会主義共和国連邦成立 | 政治・経済・社会 | |
- | 航空発動機用玉軸受の製造開始 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
- | 沢田繁造氏、大阪市玉造町に沢田製作所を設立、SBSの商標を用いて、玉軸受の製造を開始(20年解体) | 内外業界 | |
- | 日本特殊鋼はわが国初の高炭素クロム軸受鋼生産に成功 | 内外業界 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 西賞治[西林賞治]氏、大阪市南区谷町に西林工作機械製作所(個人経営、のち西林精工株式会社)を設立し、工作機械の製作を開始 | 内外業界 | |
5月 | 丹羽昇氏(のちの東洋ベアリング製造株式会社初代社長)は、同氏経営の巴商会にボールベアリング部を設け、西園鉄工所と提携し、NTNの商標を用いて玉軸受の製造開始 | 内外業界 | |
6月 | 名古屋に販売員出張所を開設 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
6月 | 外径1,185mmの超大形スラスト玉軸受を製作(魚雷発射管用) | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
7月 | コロガリ軸受の最初の国際標準化会議(ISAの前身)がチューリヒで開催さる | 内外業界 | |
9月1日 | 関東大震災(9月1日)により、建物その他に若干の被害を受け20数日間休業 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
9月 | 関東大震災 | 政治・経済・社会 | |
9月 | 第2次山本内閣成立 | 政治・経済・社会 | |
- | 1/10,000インチのダイアルゲージの使用開始 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
- | アメリカGurner Ball Bearing Co. はMarlin-Rockwell Corp.に吸収さる | 内外業界 | |
- | 独マルク価驚異的に下落 | 政治・経済・社会 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 震災により約半ヵ月間休業 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
1月 | 清浦内閣成立 | 政治・経済・社会 |