日本精工(株)『日本精工五十年史 : ベアリング その発達と技術』(1967.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
6月 第1次加藤高明内閣成立 政治・経済・社会
- 中西辰次郎氏、大阪市北区に中西製作所(個人経営、のちの中西金属工業株式会社)を設立し、軸受保持器を製作開始 内外業界
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
3月 福岡に販売員出張所開設(大正15年8月小倉に移転) 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
3月 中西梅一氏、大阪市西成区海老江町に中西製作所(のちの金剛ベアリング)を設立 内外業界
4月 治安維持法成立 政治・経済・社会
5月 普通選挙法公布 政治・経済・社会
7月 藤原ベアリング製作所(藤原房雄氏経営、のちの富士精工株式会社)、商標をFBSとし、軸受の製造を開始 内外業界
8月 第2次加藤高明内閣成立 政治・経済・社会
11月 商工省より鋼球製造研究補助に関する指令を受く 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 軸受専業メーカに完全移行 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- スペリー式シャイロロ-タ用深ミゾ玉軸受の製作開始 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- アメリカThe Strome Ball Bearing Mfg. Co.はMarlin‐Rockwell Corp. に売却さる 内外業界
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 第1次若槻内閣成立 政治・経済・社会
4月 第1回ISA-4会議(コロガリ軸受の規格統一委員会)ニューヨークで開催 内外業界
11月1日 高炭素クロム鋼鋼球の製造に着手(わが国における軸受用鋼球国産化の最初) 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- スウェーデンから軸受用鋼球製造設備を輸入、鋼球製造研究工場を建設 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 徒弟制度廃止 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 航空発動機用円簡コロ軸受の製造開始 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
- 1/4mmのミニメータ設備設置 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月 昭和と改元 政治・経済・社会
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