富士ゼロックス(株)『富士ゼロックスの歴史 : <1962~1992> : The Document Company』(1994.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
- C.F.カールソン、ワシントン州シアトルで誕生 創立前史
- ハロイド社が写真感光紙製造を事業目的として設立され、全陣容12名でスタート。4人の創立者の1人に後に“ゼロックス育ての親”となるJ.C.ウィルソンの父J.R.ウィルソン参加 創立前史
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- J.C.ウィルソン、誕生 創立前史
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- 今日では世界最大の規模を誇るシンクタンクバッテル記念財団、ゴードン・バッテルとその母親の遺産350万ドルを基金に設立 創立前史
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
- C.F.カールソン、カリフォルニア工科大学物理学部を卒業 創立前史
- C.F.カールソン、P.R.マロリー社の特許部へ就職 創立前史
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
- J.C.ウィルソン、ロチェスター大学、ハーバード大学経営大学院を卒業し、この年、ハロイド社に入社 創立前史
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
- 富士写真フイルム設立(以下、富士フイルムと略)。1934年1月20日、写真フィルムの国産化をめざして、大日本セルロイド(現在のダイセル化学工業)のフィルム開発部門が独立。資本金300万円、従業員340人。工場は神奈川県の足柄上郡に設立 創立前史
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
- ハロイド社、初の株式公開によって書類撮影用特殊カメラ製造のレクティグラフ社を買収 創立前史
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
- 特許技師となったC.F.カールソン、事務用複写機の開発に努め、新方式エレクトロフォトグラフィー(電子写真法)の特許を出願、不成立 創立前史
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
- C.F.カールソン、電子写真による複写法の実験に成功、9月8日付で電子写真法の特許出願(1940年11月米国特許2221776号取得) 創立前史
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
- C.F.カールソン、エレクトロフォトグラフィーの特許出願(1942年米国特許2297691号取得) 創立前史
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
- C.F.カールソン、エレクトロフォトグラフィック・アパレイタスの特許出願(1944年米国特許2357809号取得) 創立前史
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
- C.F.カールソン、彼の発明に興味を示していたバッテル研究所のR.W.デイトン博士と出会い、同研究所が複写機の開発に着手 創立前史
- バッテル研究所、カールソンに協力してエレクトロフォトグラフィーの研究開発に3000ドルの支出を承認 創立前史
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
- 社長J.R.ウィルソンは会長になり、J.C.ウィルソンは36歳の若さで父の後を継ぎハロイド社の社長に就任 創立前史
- ハロイド社のJ.デサウアー、エレクトロフォトグラフィーに注目し、J.C.ウィルソン社長とともにバッテル研究所を訪問 創立前史
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
- ハロイド社、バッテル研究所と開発協力に関する協定を締結 創立前史
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
- ハロイド社とバッテル研究所、乾式静電写真法を“ゼログラフィー”と命名(10月22日アメリカ光学協会の会議で初めて公開・実演) 創立前史
- ハロイド社、「Xerox Model A Copier」発表 創立前史
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