※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和33年(1958) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『南米通信 : アマゾン・アンデス・テラローシャ』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 富士フイルム、セレン感光板試作品の実技テストを東京第一商事(RX[ランク・ゼロックス]の日本代理店)へ依頼 | 創立前史 | |
8月 | ハロイド社、ハロイド・ゼロックス社と改称 | 創立前史 | |
11月 | 富士フイルム、ゼログラフィー研究報告書をRX[ランク・ゼロックス]へ提出、同時に商品見本(セレン感光板・現像剤)とコピー見本を送付 | 創立前史 | |
昭和34年(1959) | - | 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 富士フイルム、新分野開拓のため、本社に開発部を新設、開発部の初会合で、初めて公式にゼロックス事業化を討議。開発部、ゼロックス第1次事業計画を提案 | 創立前史 | |
9月 | ハロイド・ゼロックス社、最大複写サイズ9×14インチの事務用普通紙複写機「Xerox914」を完成 | 創立前史 | |
10月 | RX[ランク・ゼロックス]のロウ社長が来日、国内各社と折衝の結果、富士フイルムとの共同事業を決定 | 創立前史 | |
11月 | 富士フイルム、RX[ランク・ゼロックス]と提携覚書に調印 | 創立前史 | |
昭和35年(1960) | - | 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | ハロイド・ゼロックス、「Xerox914」のレンタル販売開始(月額レンタル料95ドル、コピー2000枚まで追加料金なし、それ以上はコピー1枚につき約4セント、トナーなどの消耗品代および用紙代は別払い) | 創立前史 | |
5月 | 富士フイルム、米RCA社エレクトロファックス方式による電子複写機「フジックス100A」を東京晴海の第20回ビジネスショーに出品(翌年も「フジックス1100A」出品) | 創立前史 | |
10月 | RX[ランク・ゼロックス]、オーストラリア・ゼロックス設立 | 創立前史 | |
12月 | 富士フイルム、RX[ランク・ゼロックス]と技術援助契約(RX[ランク・ゼロックス]と富士ゼロックス発起人)および共同事業契約(RX[ランク・ゼロックス]と富士フイルム)に調印 | 創立前史 | |
12月 | 富士フイルム、富士ゼロックス株式会社設立認可申請書を政府に提出 | 創立前史 | |
昭和36年(1961) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『犬歩当棒録 : 祭魚洞雑録第三』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 富士写真光機、岩槻写真光機製作所を設立 | 創立前史 | |
3月 | 富士フイルム、小田原工場に電子部電子写真課を新設 | 創立前史 | |
4月 | 富士フイルムの安田純、サービス研修のため渡英 | 創立前史 | |
6月 | ハロイド・ゼロックス、ゼロックス・コーポレーション(以後、XCと略す)と改称 | 創立前史 | |
7月 | XC[ゼロックス・コーポレーション]、ニューヨーク証券取引所に上場 | 創立前史 | |
7月 | RX[ランク・ゼロックス]よりトンプソン来日、販売計画を中心にゼロックス事業の具体的な討議を実施 | 創立前史 | |
7月 | 富士フイルムに富士ゼロックス設立準備本部を設置 | 創立前史 | |
10月 | 富士写真光機にゼロックス準備本部を設置 | 創立前史 |