三菱重工業(株)『三菱重工業株式会社史』(1956.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
12月 社員に始めて歳末手当を支給 177[p] 総務人事
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月 長崎製鉄所は長崎工作分局と改称 255[p] 一般
2月 西南の役始まり 三菱会社は専ら軍需輸送に従事 同9月終結 31[p] 一般
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
2月 三菱会社は独力で三菱製鉄所経営に当る 31[p] 労務工場
5月 長崎造船所 立神船渠(第1船渠)完成 255[p] 労務工場
8月 三菱製鉄所 汽艇鷹号建造 436[p] 造船
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
9月 長崎工作分局は長崎造船局と改称 255[p] 一般
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
6月23日 工部省長崎造船局の貸下げを出願し許可を受く 34[p] 労務工場
7月7日 長崎造船局を長崎造船所と改称 三菱会社の傘下として業務を開始 支配人(所長)に山脇正勝就任 38[p] 労務工場
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月 三菱会社初代社長岩崎弥太郎逝去 第2代社長に岩崎弥之助就任 一般
8月 長崎造船所 三池鉱山局註文有明丸用円型ボイラ製作 515[p] 造機
9月 日本郵船会社設立 郵便汽船三菱会社は海運業に関する資産一切を同社に譲渡し海運業を閉ず 更に同社設立に当り三菱製鉄所の一部を同社に移管 38[p] 一般
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
3月29日 郵便汽船三菱会社を三菱社と改称 事務所を東京市京橋区霊岸島に置く 38[p] 一般
7月 三菱社本社を神田区駿河台東紅梅町に移す 39[p] 一般
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
4月 三菱社本社を神田区淡路町に移す 39[p] 一般
4月 三菱社 政府に対し長崎造船所の払下を申請 同6月許可を受く 39[p] 労務工場
5月 長崎造船所 三菱社(高島炭坑)註文貨客船夕顔丸建造 437[p] 造船
6月20日 長崎造船所払下代金を完納し 同所は名実共に三菱社の所有に帰す 39[p] 労務工場
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
12月1日 長崎造船所を三菱造船所と改称 256[p] 労務工場
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
3月 皇居前大名屋敷跡の荒地を三菱社購入 世に三菱ケ原と称され後年丸ノ内繁栄の基をなす 一般
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