※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 三菱造船所 日本郵船株式会社註文貨客船常陸丸建造 437[p] | 造船 | |
10月 | 三菱造船所 水雷艇第37号及び第38号建造 421[p] | 造船 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 始めて中元手当を支給 178[p] | 総務人事 | |
6月 | 神戸市に造船所建設を企図して着手 273[p] | 労務工場 | |
6月 | 三菱造船所技士伊東久米蔵発明に係る雲母製ウオーターゲージ(験水器)特許登録 391[p] | 技術 | |
10月 | 長崎三菱工業予備学校設立 233[p] | 労務工場 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 給与休暇規定を制定 176[p] | 総務人事 | |
7月 | 三菱造船所 大阪商船株式会社註文揚子江用客船大亭丸建造 440[p] | 造船 | |
10月26日 | 大正天皇皇太子の御時長崎造船所を御視察 2[p] | 一般 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 三菱造船所 山陽鉄道株式会社註文関門連絡船大瀬戸丸建造 440[p] | 造船 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 三菱造船所 三菱合資会社註文貨物船若松丸及び同所用大浦丸建造 440~1[p] | 造船 | |
6月 | 三菱造船所 三菱合資会社註文貨物船大冶丸建造 440[p] | 造船 | |
11月 | 三菱造船所 献上船汽走ヨット初加勢建造 441[p] | 造船 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 三菱造船所 日本郵船株式会社註文貨客船日光丸建造 442[p] | 造船 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 傭使人扶助規則を制定 184[p] | 総務人事 | |
1月 | 英国パーソンス マリン スチーム タービン社より舶用タービンの製作権を獲得 397[p] | 技術 | |
1月 | 英国チヤールス アルガーノン パーソンス社より陸用タービンの製作権を獲得 397[p] | 技術 | |
1月 | 英国ジヨサヤ ストーン社よりマグネシウム青銅鋳物の製作権を獲得 397[p] | 技術 | |
2月 | 日露国交断絶 | 一般 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 三菱造船所第3船渠竣工 260[p] | 労務工場 |