※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ運河開通博覧会のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 合資会社清水組に改組、清水釘吉、店長となる | 清水建設・兼喜会の歩み | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第一次大戦終わる | 社会の歩み | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 清水組本店諸方組合、誕生 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 日本土木建築請負業者連合会設立 | 社会の歩み | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 名古屋出張所、名古屋支店に昇格 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 野口長二郎支店長就任 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 清鯱会(のちの名古屋兼喜会)結成 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 国際連盟成立、加盟 | 社会の歩み | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 清水組本店諸方組合規約改正 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 匠友会、清水大工組合と改称 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 名古屋市営電車が営業開始 | 社会の歩み | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 関東大震災 | 社会の歩み | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 名古屋放送局、ラジオ放送開始 | 社会の歩み | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 小笹徳蔵支店長就任 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 清水組本店諸方組合(通称〓[キ+「の逆向き]会)創立総会開催 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | ニューヨーク株式暴落(世界恐慌始まる) | 社会の歩み | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 清水組本店諸方連合、清水組本店諸方組合〓[キ+「の逆向き]会に改組改称 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 名古屋市営バス営業開始 | 社会の歩み | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 清水組本店諸方組合をカネキ会と改称 | 清水建設・兼喜会の歩み | |
- | 満州事変起こる | 社会の歩み |