清水建設名古屋兼喜会『清水建設名古屋兼喜会70年の歩み : Link 70』(1991.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
- 清水組本店諸方組合〓[キ+「の逆向き]会、兼喜会と改称 清水建設・兼喜会の歩み
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
- 京都伏見稲荷より、兼喜稲荷大明神を祭祀 清水建設・兼喜会の歩み
- 名古屋金鯱軍(現:中日ドラゴンズ)が発足 社会の歩み
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
3月28日 香取己之助、初代会長に就任 清水建設・兼喜会の歩み
12月1日 本社にて兼喜会旗入魂式、授与式 清水建設・兼喜会の歩み
12月8日 会旗被露及び総会開催・正会員46名 於覚王山泉竹 清水建設・兼喜会の歩み
- 株式会社清水組設立(資本金250万円) 清水建設・兼喜会の歩み
- 清鯱会を名古屋兼喜会と改称〈通例〓[キ+「の逆向き]会と称した〉、名古屋ホテルにて発会総会開催 清水建設・兼喜会の歩み
- 国鉄名古屋駅営業開始 社会の歩み
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
- 第2次世界大戦始まる 社会の歩み
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
- 吉田謙二支店長就任 清水建設・兼喜会の歩み
- 太平洋戦争始まる 社会の歩み
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
- 名古屋市13区制となる 社会の歩み
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月12日 支店社屋焼失に伴い名古屋兼喜会事務所も焼失 清水建設・兼喜会の歩み
- 太平洋戦争終わる 社会の歩み
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
- 吉川清一支店長就任 清水建設・兼喜会の歩み
- 岡田平蔵、2代会長に就任 清水建設・兼喜会の歩み
- 新円発行 社会の歩み
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
3月 全国建設業協会設立 社会の歩み
4月 新学制(6・3・3・4制)施行、男女共学開始 社会の歩み
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