三菱重工業(株)『海に陸にそして宇宙へ 2 : 三菱重工業社史 : 技術・製品事業編/資料編』(2014.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政4年(1857) 10月10日 徳川幕府、長崎鎔鉄所建設に着手(文久元(1861)年3月長崎製鉄所として完成) 当社事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
12月9日 王政復古の宣言 一般事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- (閏10.18)土佐藩の商業組織を継承した九十九商会を設立し、海運業を開始―三菱の創業 当社事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 九十九商会を三川商会と改称 当社事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三川商会を三菱商会と改称、岩崎弥太郎が社主となる 当社事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
2月 佐賀の乱 一般事項
4月1日 三菱商会本店を大阪から東京に移転、その後、三菱蒸汽船会社とも称した 当社事項
4月4日 台湾出兵始まる(~10月) 一般事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 三菱商会、わが国初の外国定期航路(横浜―上海)を開設 当社事項
5月1日 三菱商会を三菱汽船会社と改称 当社事項
5月18日 大久保利通内務卿、海運3策を太政大臣に建議、民営補助に海運政策転換 一般事項
9月15日 政府、三菱汽船会社に第一命令書を下付 一般事項
9月18日 三菱汽船会社を郵便汽船三菱会社と改称 当社事項
12月31日 横浜にボイド商会と共同で三菱製鉄所を設立(明12.2権利を買い取り、郵便汽船三菱会社の単独経営とする) 当社事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
8月 汽艇「鷹号」を建造(7GT、三菱初の船舶)[三菱製鉄所〈横浜〉] 当社事項
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
11月5日 工場払下概則制定(明17廃止) 一般事項
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
10月11日 明治14年の政変、松方正義大蔵卿による紙幣整理開始で松方デフレ起こる 一般事項
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
7月7日 郵便汽船三菱会社、官営長崎造船局の工場全部の借り受け許可を受け、長崎造船所と改称して事業を継承―当社創立 当社事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月18日 三菱第2代社長に岩崎弥之助就任 当社事項
9月29日 日本郵船会社の設立に伴い、郵便汽船三菱会社の海運事業を同社に移管 当社事項
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