三菱重工業(株)『海に陸にそして宇宙へ 2 : 三菱重工業社史 : 技術・製品事業編/資料編』(2014.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 長崎製鋼所および神戸内燃機製作所を新設 当社事項
6月10日 三菱海上火災保険が三菱合資会社から分立して営業開始 一般事項
10月1日 三菱銀行が三菱合資会社から分立して営業開始 一般事項
11月1日 電機製作所を新設 当社事項
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月15日 株式市場、株価暴落で混乱(戦後恐慌始まる) 一般事項
5月15日 三菱内燃機製造株式会社を設立、神戸内燃機製作所を同社に移管 当社事項
6月30日 三菱造船初の潜水艦「呂号第51」(893排水トン)建造[神戸造船所] 当社事項
7月7日 八・八艦隊案、議会を通過(ワシントン条約により中止) 一般事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月1日 電機製作所を三菱電機株式会社(1.15設立)に移管して営業開始 当社事項
9月1日 長崎製鋼所を長崎造船所に統合 当社事項
10月1日 三菱内燃機製造株式会社を三菱内燃機株式会社と社名変更し、名古屋工場を名古屋製作所、神戸工場を神戸製作所と改称 当社事項
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月6日 ワシントン海軍軍縮条約調印 一般事項
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 関東大震災 一般事項
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
12月24日 三菱造船第3代会長に浜田彪就任 当社事項
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 金融恐慌始まる 一般事項
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月1日 三菱内燃機神戸製作所を神戸造船所に移管 当社事項
5月1日 三菱内燃機株式会社を三菱航空機株式会社と社名変更 当社事項
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
9月15日 日本郵船向け客船「浅間丸」(16,947GT)竣工(同社サンフランシスコ航路第1船)[長崎造船所] 当社事項
10月24日 ニューヨーク株式市場大暴落、世界恐慌始まる(翌年、日本で昭和恐慌) 一般事項
12月1日 三菱航空機東京製作所を新設 当社事項
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