"山岡孫吉"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和3年(1928) | 2月 | 社長山岡孫吉は、増崎平次郎、藤原忠を同伴し、シンガポールをはじめ南洋諸島を視察する。 | 会社概況 |
昭和7年(1932) | 2月11日 | 紀元節の日、社長山岡孫吉は、仲松太郎を同伴して、欧米視察のため大阪をたつ。(朝鮮―満州―ソ連―欧州―米国)//欧米各地の著名なエンジン工場を訪ね、旅行の大半をドイツで過ごした。その間、石油発動機にかわる小型ディーゼルエンジンのメーカーをたずねたが、目的を果たさずに、7月20日に帰国した。それ以来、小型ディーゼルエンジンの発明構想に全力を傾けた。 | 会社概況 |
10月 | ディーゼルエンジンの専門技術者奥礎一氏を招き、社長山岡孫吉のヒントによって、小型ディーゼルエンジンの試作に没頭。 | 会社概況 | |
昭和11年(1936) | 5月 | 社長山岡孫吉は、台湾台北市の代理店会議でS型の普及に努める。 | 会社概況 |
昭和25年(1950) | 5月3日 | 実業功績者として、大阪府知事赤間文三から、社長山岡孫吉は表彰をうける。 | 会社概況 |
昭和26年(1951) | 10月 | 産業の発達と国民生活の改善に努力した功績のため、社長山岡孫吉は、第1回藍綬褒賞[藍綬褒章]を下賜される。 | 会社概況 |
昭和27年(1952) | 11月3日 | 兵庫県知事から、産業文化に与えた功績のため、社長山岡孫吉は文化賞を受ける。 | 会社概況 |
11月 | 社長山岡孫吉の「胸像」除幕式を挙行。この胸像は、社長の藍綬褒賞[藍綬褒章]を祝って、協力工場関係から寄贈されたものである。 | 会社概況 | |
昭和28年(1953) | 2月 | 社長山岡孫吉は、第2回の欧米視察に出発。取締役大塚石松、取締役技術部長横井元昭、長浜工場長山岡浩二郎、および山岡淳男とともに、ドイツ、イギリス、フランス、スエーデン、イタリー、デンマーク、アメリカ、カナダなど、各国著名工場(130余)および展示会などを見学。その間、ミラノでの国際内燃機会議に日本代表として出席し、さらに小型ディーゼルエンジンと機械工業界を視察研究した。(滞留5カ月) | 会社概況 |
昭和30年(1955) | 4月 | 社長山岡孫吉はドイツ発明者協会から、小型ディーゼルエンジンの発明による功績に対しディーゼル金賞牌を授与される。 | 会社概況 |
昭和31年(1956) | 1月 | ドイツ国立博物館から、世界最小エンジンの陳列を所望してきた。社長山岡孫吉は、このためK1型セクションエンジンを寄贈した。 | 会社概況 |
3月 | 社長山岡孫吉は、財団法人日独文化研究所の理事長に就任。 | 会社概況 | |
5月 | 社長山岡孫吉は、ミュンヘン市のドイツ国立博物館の名誉理事に推薦される。 | 会社概況 | |
昭和32年(1957) | 4月15日 | 社長山岡孫吉は、多年、日独文化関係増進につくしたため、ドイツ連邦共和国大使館邸でハンス・クロル大使の手から、ドイツ大十字功労勲章を授与される。 | 会社概況 |
9月 | 社長山岡孫吉は、西ドイツ・アウグスブルグ市へ故ルドルフ・ディーゼル記念石庭苑贈呈式に出席のため、夫人および取締役山岡淳男夫妻を同伴して渡欧。(滞留2カ月) | 会社概況 | |
昭和33年(1958) | 7月 | 社長山岡孫吉は、船舶の内燃機関製造を通じ、海運造船界の発展に努力した功労者として、運輸大臣賞を授賞。 | 会社概況 |
昭和34年(1959) | 9月 | 社長山岡孫吉は、“日独友好親善の鐘”を、駐日西独大使館庭に寄贈。 | 会社概況 |
昭和35年(1960) | 7月 | 社長山岡孫吉は、夫人同伴、ブラジル国での事業の進展状況と市場視察のため渡伯。ヨーロッパ経由で帰国。(滞留1カ月) | 会社概況 |
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