※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 沖牙太郎、電信寮製機所に雑役夫として入所(4) | 当社事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 沖牙太郎、工部9等技手2級に昇進(5) | 当社事項 | |
2月 | 西郷隆盛、征韓論の対立から西南戦争始まる(5) | 業界・一般事項 | |
3月 | 沖牙太郎、狩野タケと結婚(32) | 当社事項 | |
11月 | ベル電話機、日本に.渡来(6) | 業界・一般事項 | |
- | エジソン(米)、炭素送話器を使った電話機を発明(10) | 業界・一般事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 沖牙太郎、官を辞して明工舎を設立(京橋新肴町)(8) | 当社事項 | |
3月 | 顕微音機(エジソン式電話機)を製作、第2回内国勧業博覧会に出品し有功2等賞受賞(10) | 当社事項 | |
10月 | 大蔵卿就任の松方正義、松方デフレ政策開始(11) | 業界・一般事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 東京銀座にアーク灯ともる(14) | 業界・一般事項 | |
- | ドイツ式軍用携帯印字機と軍用電池を陸軍に納入(13) | 当社事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ロンドン万国発明品博覧会に漆塗り線出品、銀牌受賞(13) | 当社事項 | |
3月 | 京橋弓町にメッキ工場を新設(13) | 当社事項 | |
10月 | 東京―横浜間で市外通話試験に成功(15) | 業界・一般事項 | |
12月 | 工部省廃止、逓信省設置(15) | 業界・一般事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 京橋新富町に製線工場を設置し、南伝馬町に支店を開設(13) | 当社事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 東京電灯会社、電灯供給を開始(14) | 業界・一般事項 | |
- | ストロージャー(米)、自動交換方式を発明(50) | 業界・一般事項 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 大日本帝国憲法(明治憲法)発布(17) | 業界・一般事項 | |
- | 明工舎を沖電機工場と改称(16) | 当社事項 |