※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 第1次世界大戦終わる | 業界・一般事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大崎工場を開設(44)、大崎工場内に無線機器工場を設置(48) | 当社事項 | |
- | 名古屋、神戸に出張所を開設、大阪出張所を支店に(44) | 当社事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 250万円に増資(44) | 当社事項 | |
11月 | ピッツバーグ(米)で初のラジオ放送 | 業界・一般事項 | |
- | 大阪市外大仁に新工場を建設(44) | 当社事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三菱電機(株)設立 | 業界・一般事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 逓信省、ストロージャー式自動交換機を試用 | 業界・一般事項 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 富士電機製造(株)設立(51) | 業界・一般事項 | |
9月 | 関東大震災(45)、政府が電話の自動交換化とラジオ放送実施を決定(46、49) | 業界・一般事項 | |
- | 震災後の通信施設復旧に従事(46) | 当社事項 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 東京放送局設立(47) | 業界・一般事項 | |
12月 | ロンドン―ニューヨーク間で写真電送の実験成功 | 業界・一般事項 | |
- | ラジオ受信機を製作(49) | 当社事項 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 500万円に増資(53) | 当社事項 | |
9月 | 前逓信次官内田嘉吉、顧問に就任(52) | 当社事項 | |
10月 | 日本無線電信会社設立(70) | 業界・一般事項 | |
- | 逓信省から4通信路多重電信装置の試作を受注(74) | 当社事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 京橋局に初の自動交換機を設置(52) | 業界・一般事項 | |
9月 | GE社(英)とステップ・バイ・ステップ自動交換機の技術提携契約(53) | 当社事項 |