東京電気(株)『東京電気株式会社五十年史』(1940.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 藤岡市助、三吉正一の両氏発起人となり、矢島作郎、谷村小作、野上由貞、玉木弁太郎、児玉隼槌、三宅順祐の六氏と共に資金弐千円を以て白熱舎を創立す(場所 東京市京橋区鎗屋町十番地)
7月21日 届出人三吉正一、店主福田熊太郎の名義により営業届を京橋区長に提出す
8月12日 白熱電球十二個の製造に成功す(本邦製電球の始め)
8月12日 フィラメント製作に竹を使用し始む
12月 十、十六燭光以外に八、廿四、卅六、五十の各燭光電球の製造を行ふ
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
10月 藤岡、三吉両氏以外の諸氏へ各出資額を返却し爾後両氏之が経営に当る
11月 各地電灯会社へ電球販売を開始す
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
6月 工場狭隘の為同市同区[東京市京橋区]南鍋町一丁目一番地へ移転す
- (明治25、26年頃)海軍省の命に依り信号灯用小型特殊電球の製造を開始す
- (明治25、26年頃)電話交換用豆ランプの製造を行ふ
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月25日 白熱舎を株式組織に変更し資木金五万円を以て新たに東京白熱電灯球製造株式会社を設立す
1月27日 三吉正一氏専務取締役社長に就任す
2月27日 農商務省より東京府庁を経て設立免許書を下附せらる
4月16日 資本金を拾五万円に増額す
4月23日 白熱舎事業譲受手続を終了し営業を開始す
7月31日 取締役兼工業部長三宅順祐氏を米国へ派遣す
9月1日 東京市芝区三田四国町二番地第十八号地約七百八十六坪余を借入れ事務所及び工場の建築に着手す
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業(後に澁澤倉庫会社・発起人)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
5月 米国製電球製造機械を購入す
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)〔58歳〕 渋沢関係略年譜
5月16日 東京市芝区三田四国町二番地第十八号地へ移転す
12月29日 三吉正一氏専務取締役社長を辞し藤岡市助氏専務取締役社長に就任す
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