※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 日本、ハワイ間無線電信通信試験に成功 | 参考事項 | |
11月 | 無線電信法施行(私設無線許可) | 参考事項 | |
11月 | 我国初の私設無線電信(船舶局)を豊橋丸に設置 | 参考事項 | |
12月2日 | 匿名組合日本無線電信機製造所設立//資本金 7000円//組合員 加島斌 木村駿吉 沖馬吉 木下英太郎//事業所 東京市芝区桜田久保町7 | 当社主要事項 | |
12月 | アインシュタイン(独)一般相対性理論発表 | 参考事項 | |
- | 米仏間大西洋横断無線電話実験 | 参考事項 | |
- | 軍需急増により鉄鋼、造船業好況 | 参考事項 | |
- | 我国の海岸局の全部が瞬滅火花式に改装 | 参考事項 | |
- | ハートレイ(英)真空管発振器発明 | 参考事項 | |
- | マイスナー(墺)真空管式送信機完成 | 参考事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 三菱合資会社長崎造船所(現・三菱重工業株式会社)から同社の救助船大浦丸用の無線電信機を初めて受注 | 当社主要事項 | |
4月 | 三重県鳥羽、神島間、答志島にTYK式無線電話により公衆電報取扱開始 | 参考事項 | |
11月 | 船橋無船電信局、ハワイ間に無線通信業務開始 | 参考事項 | |
12月 | 瞬滅火花式送信機と鉱石検波式受信機を完成し、第1号機として大浦丸に装備 | 当社主要事項 | |
- | ランジバン(仏)初めて水中聴音用複合振動子発明 | 参考事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 合資会社日本無線電信機製造所設立//資本金 2万2600円//無限責任社員 加島斌、小島潔//有限責任社員 小穴秀一、加納与四郎、木村駿吉//本社及び工場 東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷1280番地//敷地1322m2(400坪)//建坪992m2(300坪) | 当社主要事項 | |
5月 | 真空管工場開設 | 当社主要事項 | |
6月 | 本多光太郎外KS磁石鋼発明 | 参考事項 | |
9月 | 金銀輸出禁止 | 参考事項 | |
11月 | 私立日本無線技士学校開設 | 当社主要事項 |