(株)日立製作所『日立製作所史. 3』(1971.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
10月 戊申詔書発布 社外事項
- 日立鉱山の工作課修理工場として、電気諸機械の修理を開始(月不詳) 社内事項
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
9月 工作課修理工場は、大雄院電車停留所脇へ移転 社内事項
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
4月 徒弟養成所を創設 社内事項
8月 日韓併合条約調印 社外事項
11月 茨城県日立村宮田芝内に新工場建設、日立製作所と称する(これをもって当社の創業とする) 社内事項
- 日立鉱山納め 5HP誘導電動機3台を完成(回転機の最初の製品)(月不詳) 社内事項
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
3月 1.5t鉱山用電気機関車を完成(最初の車両製品) 社内事項
3月 電気事業法公布 社外事項
5月 2kVA変圧器20台を茨城電気会社へ納入(顧客へ納入した最初の製品) 社内事項
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
1月 日立鉱山から分離し、久原鉱業所日立製作所となる 社内事項
3月 日立マークを登録 社内事項
7月30日 明治天皇崩御 社外事項
7月 絶縁材科の研究を開始 社内事項
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
9月 久原鉱業所は組織を変更し、久原鉱業(株)と改称、日立製作所は引き続き同社の1事業所として経営される 社内事項
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
2月 大阪に販売事務所を設置 社内事項
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
1月 交流電流計・電圧計の製作を開始 社内事項
7月 第1次世界大戦ぼっ発 社外事項
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
5月 利根発電(株)岩室発電所納め 10,000HP水車を完成 社内事項
11月 大正天皇ご即位 社外事項
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