※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 不況のため徒弟学校を閉鎖す。 | 略年表 | |
12月 | 支配人玉利七二辞任す。 | 略年表 | |
- | カーバイト製造電気炉用変圧器6,000kVA63,000Vを電気化学工業株式会社に納入。 | 技術年表 | |
- | 3相誘導電圧調整器600kVAを熊本電気株式会社に納入。 | 技術年表 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 不良工員の整理から労働争議発生す。 | 略年表 | |
- | 本邦最初の単極直流発電機50kW10,000A1,500R.P.M.を鉄道省に納入。 | 技術年表 | |
- | 遮断容量500,000kVA35,000V400Aの油入遮断器を日本電力株式会社に納入。 | 技術年表 | |
- | 減速電動機を試作、以後順調に発展す。 | 技術年表 | |
- | 全閉鉄心冷却型電動機30H.P.1,200R.P.M.を製作。 | 技術年表 | |
- | セメントチューブミル用としてスーパシンクロナスモータ250H.P.、500H.P.を大阪窯業セメント株式会社に納入。これがわが国で最初に製作されたスーパシンクロナスモータである。 | 技術年表 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ボールベアリング付3相誘導電動機の製作を開始。 | 技術年表 | |
- | 2重カゴ形3相誘導電動機を製作。 | 技術年表 | |
- | 過負荷継電器用として熱動継電器を製作。 | 技術年表 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 布目斉司郎支配人に就任。研究室完成す。 | 略年表 | |
5月 | 製造品目制定委員会を設置す。 | 略年表 | |
- | ポンプ用として低速同期電動機400H.P.500R.P.M.を浅野セメント株式会社門司工場に納入。 | 技術年表 | |
- | 従来の大理石配電盤を鋼板製配電盤に変更。 | 技術年表 | |
- | 2重速度極数変換3相誘導電動機を製作。 | 技術年表 | |
- | 75kVA発電機を構成型で製作。構成型は以後著しい発達を示す。 | 技術年表 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 創立以来の繰越欠損を切り捨てるため120万円を減資し、資本金を180万円とす。 | 略年表 |