※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
天保14年(1843) | - | ○英人エリクスン、戦艦「プリンストン」を建造 初めてスクリューを装備、軍艦建造に大変革を招来 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
弘化元年(1844) | 8月28日 | オランダ、国書をもってわが国に開国を勧告 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
弘化2年(1845) | - | 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 仏船、貿易を求めて琉球に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
5月24日 | 英船、和親を求めて長崎に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
弘化3年(1846) | 5月27日 | (閏5月)米艦、浦賀に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
8月29日 | 海防の勅諭、幕府に降下 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
弘化4年(1847) | - | 【渋沢栄一】従兄尾高惇忠から漢籍を学ぶ。〔7歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 関東海上の防備を強化 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○英国ドーバー・仏国カレー間に世界最初の海底電線敷設 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
嘉永元年(1848) | - | 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ○島津斉彬の命により、蘭学者箕作阮甫、「舶用蒸気機関書」を翻訳 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○佐久間象山、洋式野戦砲を製作 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○品川に砲台を築造 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
嘉永2年(1849) | 2月 | 浦賀奉行の西洋型船「蒼隼丸」竣工 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
4月8日 | (閏4月)英船、浦賀に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
9月 | 箕作阮甫、舶用蒸気機関書の訳本「水蒸船説略」を完成 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
12月 | 諸藩に海防強化を命令 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○英国、航海条例を廃し、自由貿易政策を採択 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
嘉永3年(1850) | 11月22日 | 海防の勅諭、再び幕府に降下 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
- | ○諸藩に軍事工業興隆 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○長州恵美須鼻(山口県)にて「丙辰丸」(スクーナー木製 2本マスト 47T)を建造 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○江川太郎左衛門、伊豆韮山(静岡県)にて反射炉の実験を開始 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |